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前置き      

38年住んでいたアメリカを去る際、ニュー・ヨークから友人が住んでいるコロラド迄アムトラック、その先はレンタカーで、
最低2つの国立公園と蒸気機関車のある場所に寄り、
ついでにヴァンクーヴァーの友人に会ってからの出国と決めていました。

ユニオン・パシフィック鉄道のシャイアン機関庫、グランド・キャニオン鉄道、サクラメントの鉄道博物館等を候補に挙げていたのですが、
引越の準備に追われインターネットで各所の確認をする事も出来ずにいました。

アムトラックの切符予約をしたのはニュー・ヨーク出発の2日程前。 シカゴ迄は寝台車がとれましたが、
その先、コロラドのグランド・ジャンクション迄は寝台室が満席で、座席車。 その先は現地決定と、結構きつい旅になりました。

コロラド州には、その夏に復活蒸機を導入した鉄道を含め3ヶ所で蒸気機関車を観光用に使用していますが、
スケジュールの都合で最終的にネヴァダ・ノーザン(以下NNRと略)に決定。

コロラドの友人宅からインターネットでチェックをすると蒸気機関車レンタルのスケジュールがポンと出てきました。
構内運転1時間が約5万円、約7万円で構内から出て往復2時間程の運転。
週末だけかと思っていたのが平日でも行なわれています。
しかし翌月迄蒸機は満杯。諦めずに読み続けるとディーゼル機のレンタルもあり、こちらは殆ど毎日空があります。
蒸機のキャンセルに期待をかけ、
予約はせずにコロラド・スプリングで車を借り、一路ネヴァダ州に向かいました。


乗る為に    2007年6月30日

イーライのモテルにチェック・インしたのは午後6時前。
なんせ此処はネヴァダ州、かなり行き当たりばったりの私はホールに設置されているスロットル・マシーンに少々気を取られ、
NNRのちらしが貼ってある掲示板に気が付かなかった。
部屋に入ってからデスクの上にあるちらしに気付き、事務所と売店は7時迄営業している事を知ったが、場所も判らず、時既に遅し・・・
兎に角、場所の確認だけでも、とフロントで方向を聞き、暗くなった街を走り、これと思われる建物を見つけた。
翌日の為に建物、線路、駐車場との関係確認をする。

翌朝は8時開業に合わせ6時半には起床、朝食もそこそこで駅に向かった。 駅舎の右側部分がミュージアムの売店。
待つ事一時、なんせ早い者勝ち、予約が詰っていてもキャンセルがあるかもしれないだろうし、粘れば何とかなると考えていたのだ。
一番に入店すると、そこは昔、出札窓口があった部屋で、正面がプラットフォームへの出入り口、その左が出札窓口、
その手前に跳ね上げ板の付いたカウンター、その奥に隣の部への入り口、昔の待合室のようだ。
残りの場所には所狭しと商品が展示されており、10人も入れば身動き出来なくなる広さ。

カウンターで早速機関車運転の交渉を始めたが、勿論、蒸機の運転は駄目。
二人で往復を交代するという事も出来るそうだが、相棒と話し合いを事前にしなければならず、これも無理。
(料金が半額になる訳でもなし、友人とでもなければ運転を半分づつというのは・・・虫が良すぎる)

取り敢えず空いていたディーゼル機運転の予約をすると
「ワイフはどうするの? 一緒に乗ってもいいんだけれど」、聞くと乗っているだけはタダ。
「駅で2時間待っていても」 と妻に聞くと 「こんな機会ももう無いでしょうからネ」 と一応は賛成。
その上で、蒸機の運転室に乗るだけでも出来ないか、と聞いてみると、運転関係者に乗務員スケジュールを問い合わせ、他の添乗者が無いから、
とOKが出た。 この料金は乗車券代のみ。 客車に乗り込む妻と二人分を払うだけ。

機関車運転の登録と支払いの際に3つの条件が出た。 筆記試験、服装、大きな名札を首から下げる事。

筆記試験は出発1時間前に行なうとの事。 5枚の紙を渡され、よく読んで記憶するように言われる。
最初の3枚はエンジニアー・プログラムの紹介とQ&A。
4枚目は表と裏に法規と機関車の機構に関する質問と答が19、5枚目は裏表に図入りで汽笛信号と手信号の説明。
3枚目の紙を読むと、年齢は18歳以上、自動車運転免許証(国際免許証もOKとの事)所持。
責任を個人が持つという書類にサインする事、筆記試験にパスする事、自力で機関車の運転室に攀じ登る事が出来る事、
と更に必要条項が並んでいた。

服装について言えば、添乗の際、日本では菜っ葉服を貸してくれたのだが、アメリカの機関車乗務員には制服がない。
蒸気機関車の場合、火の粉が飛ぶし、高温個所があり、常識的に帽子から靴下迄コットンのみ。
長袖シャツに長ズボンと帽子、それから作業用の手袋に皮靴。
服の方はジーパンにジーンのシャツで良いが、売店でネヴァダ・ノーザンのワッペンが付いた作業用厚手のデニム・シャツと帽子が売られていた。
靴は作業靴が滑り止めの観点から適しているが (スニーカーは柔らか過ぎて駄目と記憶している) 底のしっかりした革靴ならOK。
オシコシのつなぎ(青の縦縞で、ズボンから続いている前掛けのような胸部を、後でクロスして前に回した肩帯で留めている。 写真参考。
ポケットが多いので、大工さん等も使用。 もっともポピュラーなアメリカの作業衣)。
これと同じ縦縞の帽子を纏えば立派なアメリカ機関車乗務員の非公式な制服となる。
帽子だけでも良かったのだが、寄付の意味もあり厚手のシャツも買い込んだ。
手袋は厚手で手首の上迄被さる皮製を貸してくれた。

モテルに戻り荷物をまとめ、チェック・アウト。 売店に戻ると既に我々を捜していた。
首から大きな名札を下げ、あわてて外に出ると乗客を列車に乗せ始めている。

列車は検修庫のある方に機関車(駅舎から向かって左)、客車はモス・グリーンに塗られたダブル・ルーフの旧式車両が2両。
最後尾は鉄柵が巡らされ中央線上、車外に向いて2列のベンチが並んだ長物車(旧国鉄風に言えばチキに当たる)。
長物車にはポールが立っており、その上にスピーカーが取り付けられていた。 
どう見ても進行方向は逆。 (終端駅なのでスイッチ・バックとなっており後進で駅から出発)プラットフォームが低いので(昔の日本のと比べても無いも同じ)
乗客は誘導員に助けられステップを登り乗車。
昔のアメリカ映画で靴磨きが使う様な箱をポーターが線路脇に降ろし乗降客を補助するシーンが出てくるが、これは必需品。車掌に紹介され、
一緒に機関車に向かう。日本人も結構訪れているとか。

乗務員に紹介され添乗証を渡すが、運転室内部を見たい人が何人かいる為に下で待機。今日の機関車は本来ならNo.93なのだが、
前日の運行で動輪軸の発熱を起こし、No.40が代行。ある意味でラッキーだった。


ここで簡単に(と言うのは諸元というものが何処にも発表されていない。インターネットのリンクも調べたが駄目。 
此処で復元修理をしているので数字は出ている筈なのだが)「40」の説明をすると、
1910年にボールドウィン・ロコモーティヴ・ワークスで竣工、NNRに引渡され、現在に至っている。

車軸配置は 2-C(4−6−0の俗に言うテン・ホイーラー)。 動輪直径1753mm、何とC62を含む旅客専用機とほぼ同じ。
蒸気圧は1平方インチ当り 175 パウンド、メートル法では1平方cm当り 12 kg 強。 日本の8620形式で 13 kg。近代蒸機で 16 kg。
因みにアメリカでの最終期の大型通常蒸気機関車の最大圧力は 21 kg。
旧国鉄の8100形式の先輪を二軸台車とし、二回り程大きくすると見かけは同じか。

1940年の引退後、検修庫に保存され静態保存機となったが、行事等の際、牽き出されては展示されていた。
1987年に修理し、運行開始した。
2001年にFRA(連邦鉄道局)が新しいボイラー規制を出し、博物館は40号機と93号機の修理コストを比較、
     結果「93」のボイラー修理に全力を挙げ2002年に終了させた。これにより「93」は15年間の運行可能となったが、
     「40」は静態保存機となり車庫に保存された。 しかし再検討され、在庫パーツを調べると、ボイラー・チューブ(蒸気管)がある事が判り、
     蒸機の専門家に相談、復活する為の3〜4万ドルの予算が計上された。
2004年3月に修理工場に回され修理が始まり、2005年には運行復帰。復活修理の詳細は長くなるので此処では控えるが、大変だったとの事。


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