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蒸機機関車添乗

キャブとテンダーの間に見張然と立っているのはペアツリー君、「Trains」誌にも写真が載っていた若い背高のっぽの乗務員。
つなぎを着てスポーツ・サングラスに山高帽、一目で判った。一寸した名物男。 窓の向うで背を向けているのは助士。
機関士 (運転席は進行方向右側) が座席から立ち上がって出て来ると、制服制帽、チョッキの釦に鎖で留められた懐中時計片手の車掌と話。
さて私も乗車、とは言うものの炭水車の前横に取り付けられたハシゴは3段。
3段目は横梁の突端に真ん中を切り抜いた板を留めた穴。 その上が炭水車の台枠でこれも踏み台に使えるが、
地面から握り棒を掴むにしても1段目はかなり高い。
それでも上からの助けも借りずに上る事が出来、最初の関門突破。
まず覗き込んだのは炭水車、嬉しい事に石炭が2/3程積まれており(しかし前低後高だった)しかも普通の砕炭。
重油でも薪でもなく、煙も期待出来そう。日本では固めた練炭が多かったのだが。


ボイラーは運転室の中に入り込んでいる旧式のもの。運転室の前壁はかなり向こうで、歩み板(ラン・ボード)への通路の感があり、
実際にドアは外側に開け放たれていてそのまま外に出られる。
ボイラーの直径の割には運転室が大きいのでボイラー上面前壁には一対の四角い窓があり、運転室の中は日本の近代蒸機より明るい。

蒸気加減弁 (スロットル) レヴァーもボイラーの中央部やや上から横向きに突き出ている旧式。
半月刀の形をした板2枚の間をスロットル・レヴァーが動くようになっている。
上の板には歯が刻まれており、スロットル・レヴァー上の歯が刻まれた板と噛み合うようになっており、握りハンドル(自転車のハンドルを想像して下さい)
を握ると噛み合いが外れる。 手を離すとレヴァー上の板に付けられたコイル・スプリングにより板が戻り、その位置で歯が噛み合い保持される。
椅子に座って胸の高さ辺りだろうか。圧力が低いせいか華奢な位細く見える。
(日本の近代式蒸機は全て蒸気ドームの外側に出されてボイラー上部を走る引張棒を介しており、加減弁のレヴァーの支点は天井近くで、
重そうなレヴァー自体は縦付。 保守は中央式より余程簡単だが、背の低い人は腰を少し上げて操作をしていた)

逆転器レヴァーは床上が支点で、昔の信号所にあった手動式スイッチ・レヴァー (アメリカではアームストロング式、ジョークではなく発案者の名前から) 程大きい。
上端にこれ又スイッチ・レヴァーと同じく挟み式のスプリング入りレヴァーが付いており、このレヴァーと本体レヴァーを握るとロックから外れ、支点の上、
線路と平行に設置された歯が付いている円弧状のベースの上を動くようになっている。
実際には手動式ではなく、運転室下でシリンダーに連結された動力式逆転器の筈。

計器類は機関士側天井近くに5個、ボイラーの1時の位置で機関士側に向いている大きな 1個は表示 400ポンド迄ある缶圧計。
右横の少し小さいのは2本針で表示200ポンド強のコンプレッサーと空気タンクの圧力計か。
その右下はブレーキ圧力計、その横2個並んでいる上の新しい方が速度計と思われる。
その下の旧い計器は判らないがシリンダー圧計かもしれない。 助手側は特大の缶圧計1個のみ。

ボイラー背面の加減弁レヴァー支点の下側と助手席側には太い鉄の筒で覆われた水面計が同じ高さで並んでいる。
よく見えなかったが、助士席側のボイラーの横には水道の栓よりは大き目な回転式弁が2個。
小さい方が水、もう一つが蒸気用と思われるが、日本のインジェクターを見慣れた目には可愛い程。
長いハンドルの付いた火室扉の上に囲いの付いた棚がありオイル缶らしき物と首の長さ1mもありそうなペコペコ式の注油器が2個並んでいた。

火室扉の上には火室扉開閉用のシリンダーが装着されており、助士側床に張り出したレヴァーの先の足踏みペダルで開閉が出来る。
扉は床から少し高めだが、日本近代蒸機では両側の座席からボイラー手前の部分の床が高くなっており、それを考慮すれば同じ位か。
焚口の高さは投炭作業のの点からも考えられていると思う。蛇足で言えば、炭水車の石炭取り出し口は焚口より少し高い。
それ以外はボイラー中心近くに小さな回転弁が2個、運転席側に4個の回転弁が付いているだけ。ボイラーの背面は大変にシンプル。



乗務員は3名。 これには歴史的な理由がある。
鉄道創成期のブレーキは機関車のみの蒸気ブレーキ。
蒸気をブレーキ・シリンダーに送り、ブレーキ・シューを動輪に押し付け、同時に炭水車や後部車両に乗り込んだ乗務員がハンド・ブレーキをかけていたが、
シリンダーやパイプが凍りつくアメリカの冬の寒さには有効ではなかった。
1860年にアメリカで真空ブレーキの特許が認可されたが、完全な真空の無理は当然としても、高度1000mを越すと大気圧の関係から圧力が下がり過ぎ、
効きが極端に悪くなる為、>長編成の貨物列車や高地を通過する列車には、相変わらずブレーキ・マンが機関車や緩急車(車掌車)に乗務し、
機関士の合図で各車に付いているブレーキ緊定ハンドルを回し、補助ブレーキをかけていた。

昔の貨車の屋根には歩み板が車体の長さに渡され、ブレーキ係が車端のハシゴから登ったり、
屋根から屋根に飛び移ったりして成るべく多くの車両のブレーキをかけて回っていた。
機関車によっては炭水車に前後に窓が付いた箱が載っているのがかなりあり、知らない時は日本の重油併燃用タンクと同じ物かとも思っていたが、
実はこれブレーキ・マンの小屋、ドッグ・ハウス、犬小屋と呼ばれていた。 という事で機関士と助士、ブレーキ・マンの三人。
ローカルで入換えをしながら運行される貨物列車にはスイッチ・マンも乗務していた。
組合規則で仕事の区分けが明確化され、職制を超えての仕事は一切しなかった。
スイッチ・マンの仕事は引込み線に出入りする時、車両から降り、本線、入換線のスイッチの切換え、踏切等の防御、エア・ホース/連結器ピンの操作、
貨車の緊定、ブレーキの解除、安全限界の確認等、昔の日本の操車場職員の仕事を、本線上を移動しながらやるようなもの。
これに場合によっては車掌が乗り込んだりし、運転室5人乗務なんて事も起きた。
ウェスティングハウスが考案した直通空気ブレーキ、その改良型の自動空気ブレーキのお陰で確実なブレーキ・システムが完成し、
ブレーキ・マンの作業はスイッチ・マンの作業に統合された。

1960年代終りには大鉄道会社を含め、経営が悪化し倒産に追い込まれた会社も増加。
経営合理化の為に乗務員の削減が公表され、それに反対する組合がストに突入、管理職が運転を代行した社もある程。
ディーゼル化も暫く前に終り、機関車や通信機能の性能向上と安定、機関車から最後尾車に取付けられたブレーキ圧等の情報がで判る装置の開発等で、
先ず死重だった車掌車が外され、車掌は運転室乗務となり乗務員3人。
次はエンジンや補助機器の安定性が大幅に良くなった事から助士が外され、入換えの無い通し貨物列車の場合、機関士と車掌の2人乗務も一般的に。
組合利益確保の為のストが発表され、実際にアメリカの鉄道機能がマヒ状態になった時もあったが、敵はトラック運輸、
このままでは会社自体組合も折れた。
最近ではラップ・トップ・コンピューターをベースにしたリモート・コントロール器で、スイッチを切替えながら機関車を地上から操作する無人運転
(操車場の場合) も行なわれ、コントロールを機関士が握るか、車掌がするかでもめた。機関士組合の勝利だったようだが。

と言う訳で、此処では蒸機で客車牽引という事もあり、機関士と、助士 (アメリカではファイアー・マン、明治の頃、日本では火夫と呼んでいた)、
スイッチ・マンの3人。ペアツリー君が運転席後の仕切り板と炭水車の間を指して 「ここなら邪魔にならないから」 
運転室の滑り止め模様の鉄製床すぐ下に炭水車の台枠に貼られた鉄製床が張り出しており、この炭水車のハシゴを上り切った所に太い材木が取り付けられている。 そこにしゃがみ込んでカメラとヴィデオの撮影準備、しかし中々出発しない。
助士が頻繁に投炭をする。火室の中は勢い良く赤い炎が見えており、煙も薄い灰色。仕切り板に窓はあるが、しゃがんでいるので機関士は見えない。

突然ポーワ・ワー・ワーと汽笛が軽く鳴る。覗き込むと機関士は何と窓枠にお尻を乗せ、逆転器のノッチ板に足を乗せている。と、 車体が逆向きに動き出した。
汽笛3回は後進の合図で、後ろ向きに出発するだろうと頭に何となく入っいてはいたのだが、いざ動き出すとあわてる。
機関士の上半身は窓から表に出ていて見えない。 左手で窓枠を掴み、右手は逆転器レヴァーの上で休んでいる。
何と言う格好で運転しているのだろうか。
駅の構外まで転がしブレーキなのだが、列車用と単独ブレーキを交互に使い分け、客車のショックが少ないようにしていたのは流石、
単なる週末ヴォランティア機関士ではない。
助士は、その間体をひねって後方確認だが、右手は給水弁を握ったまま。

ペアツリー君が見えない、ポイントを本線側に切換えに行ったのだろう。待っている間に又投炭。
戻って来ると3人で前後方確認。機関士が太いロープを引っ張り、ホワーッ・ホワーッと長声2発。
このロープは運転室前板から来て天井のプーリーから下がり、ブレーキ台座にリングで留められている。
加減弁レヴァーを引っ張り、ゆっくりと出発。
後退運転の間に出切っているのか、シリンダーのドレインも大して出てない。
この間ペアツリー君は運転室と炭水車の双方に付いている握り棒に腕を通し、下のステップに両足を載せ、向こう向きに立ち前後方を確認、
と言うよりは景色を楽しんでいる感じ。
助士は給炭を続ける。

 


足を投げ出しても(勿論、水平にではない)建築限界内である事が判ったので、材木の上に座り込み左手は握り棒、足はステップの上に。
これで体を乗り出して屈み込むと、回転している動輪が丸見えになる。日本では考えられない。
小刻みなボッボッというブラスト音を吐きながら走行をしている。
1940年代の駅間平均速度は72km/hという事でかなり速いが、動輪の回転数を見ていると走行速度は速くて40km/h位か。
全体に登りで暫くすると右側に道路が平行して来るが、いとも簡単に抜かれる。向こうは70マイル、110q/h位出ているから当たり前。
緩やかな丘が続き、低い切り通しが結構ある。走行音が反射して気持ち良い。
目に見えて登りになって来ると流石に20q/h程に下がりブラスト音も伸びてくる。
ペアツリー君が機関士の横に立ち雑談を始めたので、機関士が何をしているか判らない。
雑談の内容は全て蒸機の運転に関して。文句の言い様もない。



カーヴで後を振り向くと、長物車のベンチにかなりの客が座っており、車掌が解説をしている最中。
睨まれた訳でもないが、体を極端に乗り出すのを少々控える事にする。
こんな平坦線でもトンネルが二つ。 「ホワーッワッ」で走り込む。 短いのは判っているのでこちらも準備はしない。
待避線も1個所あったが使用されていない様子で徐行もせずに通過。 上り坂が少々きつくなったようだ。
二つ目のトンネルは道路の築堤の下をくぐるコンクリート建築物の様に見え、汽笛が鳴ってもトンネルとは気が付かなかった。
中に入ると速度が落ち、歩く早さ程度、中々出ない。
灰色の煙にまかれ、それを押し出しながらホワッと出ると、助士がしきりに投炭をする。 シュッシュッとブラスト音が早くなり、速度が上がり始めた。
前方を横切る線路がチラッと見え、三角線になっていると感じた。線路は左にカーヴし、右手は低い切り通しで何も見えなくなる。
そのまま走行を続けると右側から現れた線路とスイッチで一緒に。
300m程の右カーヴが続き、一旦停車。退行してスイッチを通過後、又、停車。
コンプレッサーの音が聞こえてくるが、日本の物と比べると喘ぐ様な湿った音。
日本の近代機で一般的な複式ではなく、単式コンプレッサーと思ったが、その為か。

向きを変えた列車は下り坂を呆気ない程軽快に駆け下りて行く。
やがて町並みが見え、往路では撮影で忙しく気が付かなかったのだが、かなり高い築堤の上を走っている。
1軒の家の庭でパーティーが催されており、数人が飛び上がらんばかりに手を振っている。こちらも 「ポーワッ・ワッ・ワッ」 で答える。
3人の乗務員の様子を見ると、どうも知人の家らしい。
築堤は大きく右カーヴして街の方に向かい絶好の撮影場所ではないかと思われた。
構内で又三角線に入り逆向きに入駅。
駅舎から遠い側に長く1列に連結されたホッパ車かゴンドラ車が見えた。昔使われていたものであろう。
「これから入換えをして車庫に一旦行くがどうする?まだ乗り続けるかい?」
今晩はユタ州迄戻り宿泊先を決める予定なので、ディーゼル機運転の前に修理工場見学をしないと間に合わない、と丁寧に断り、
車に戻って私の本を取り出し、売店と機関士に贈呈、乗務員に別れを告げた。

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