白紙

ニュー・ヨークからシカゴへ    2010年5月14〜15日       写真上をクリックすると拡大されます


                               ロング・アイランド鉄道の通勤用車。    昔のウェスト・サイド・ハイウエー部を使った道路。


リヴァー・サイド・パークの北側になりますが、何処から入れるのか。 ジョージ・ワシントン・ブリッジの下を抜ける。   右写真: 2007年の項で紹介したヘンリー・ハドソン・ブリッジ。 向こうにコロンビア大学のスタジアムが見える。白いのはボート部のボート置き場でしょう。  


左: 保守用のオレンジ色作業路が見えている。    中: 川崎重工は、今回ニュー・ヨーク〜ニュー・ジャシー州間の通勤地下鉄 ”Path”の車両を製造中でした。   右: この写真を見て、映画の画面を思い出せる人は、かなりの映画通。 景色は殆ど変わっていません。


「北北西に進路をとれ」でした。  木が生えている場所は、今は公園ですが、昔は木材所でした。 通勤の毎日、或る日火事になり、次の日にはきれいに焼け落ちていました。 暫くはそのままでしたが整地され公園になりました。 あの映画に一瞬出てくる光景そのままだったのですが。
中の写真はタッパン・ジー・ブリッジ。 ここはハドソン河でも湖程拡がっている場所で、ニュー・ヨーク州立横断高速道路を通す際に、大きな船が通れるように、このような橋を建設しました。 この付近は「アメリカでの事」で後程紹介するつもりです。

右: インディアン・ポイントの原子力発電所。 アメリカで最初の商業用原発。


    ベア・マウンテン・ブリッジ。公園が反対側に。 ジョージ・ワシントン・ブリッジもそうですが、巨大な星条旗が下がっています。
    中: ウエスト・ポイント陸軍士官学校。 この上流(右側)は曲がって狭くなっており、独立戦争時初期にイギリス軍を抑える事ができた。


ニュー・バーグ・ビーコン・ブリッジ。 拡幅するのに同じ橋をもう一本作るんですから・・・前の写真も同じ。  食堂車は古い車両。


 これも古い車両。 経費と時間節減の為、日本の新幹線に刺激されて走らせたニュー・ヨーク〜ワシントン間の高速電車の設計図を使って作られた客車。 東海岸は天井の低いトンネルが多かったという制約がある(今でも一部では)。   中: 上り列車と思ったが、時刻表では見当たらない。  右: モホーク川の鉄橋のようです。

 
食堂車のオーダー・シート。 金額が書いてあるが、我々には意味が無い。  夕焼けと思ったのですが、朝焼けですね。 そうならばオハイオ州。


トレド着は05:55。 サンダスキー〜トレド間には、2007年の時に見たエリー湖上を走る区間があるのですが、2ヶ月近く早かったので、
未だ暗く判りませんでした。 残念です。


 また、トレドの駅。 支線から貨物列車が、と以前に書きましたが、川を渡り曲線を曲がった後で駅になり、駅構内線は本線から奥に押しやられた 所にあるので、プラットホームから見ていると他の線から来た様に見えていたのです。 上のUPの機関車は後から来て追いついた事になります。


           日はもう上がっていますが、朝焼けがまだ残る農地。


          中: 汚水処理場でしょうか。   右: 地方の中位の町/村は大体こんな感じです。 時計塔の建物は役所か図書館だと思います。


   中: 溜池でしょう。            右: エルクハートでは、昔、運行していた憧れの「20世紀特急」の車両が保存されていました。
                           展望車の名は、その名も「エルクハート」。 エルクハートは鉄道交通の要衝だった。


 トレーラーを載せる連接車両。軽量化とコスト削減をしていくと、こうなる。               手前の車両はタイ・タンパー


トレーラー自体は車輪も梁もあるので、これはコンテナー運搬用と思います。最大荷重 6750 とあり、珍しく Kg 表示なのでしょうか。
それにしても海外貿易用コンテナを考えると中途半端な数字です。
右の写真は前回と同じ橋。 構造がもう少しはっきり見られます。

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