サン・アントニオ  6月21日

サン・アントニオ(テキサス州)着は6月20日 22:30頃(予定は21:55)

ここで、ニュー・オーリンズから来る「サンセット・リミテッド」と併結し、ロス・アンジェルスに向かう為、出発は02:45AM。
列車が遅れるのを見越している事と、水、食料等の補給、トイレ等の整備をする為。

   列車内で知り合った5人と何となくグループを作り、食事に出かける。



右:日本的なプラットフォームは無い。 路面軌道の様に舗装。

車内で事件が起きた
その女性に眼がいったのはシカゴ・ユニオン・ステーションのグレート・グレート・ホールで列車を待っている時だった。
寝台車の予約が取れていれば、ラウンジで案内時間迄座っていたのだが。
この時間は長距離列車の発着が多く、かなりに旅行客が荷物を床に置き、何をするでもなく時間を潰していた。 その中で特に目だっていた訳ではない。
30代、背は170cm位だろうか。 美人と言えば美人。 しかし、その女性に眼がいったのはそう云う事からではなかった。
それ以前に目に止まったのは、7,8歳位だろうか、フードの付いたジャンパーの様なものを着、ぬいぐるみを抱えてホールの中央付近に立っていた可愛い男の児だった。
フードを被っていたが、一目で放射線治療を受けている、と感じた。 足許には2,3個の荷物。
その子に、この女性が近付いて行ったのだ。 治療に向かう親子かと思った(ミネソタに有名な子供専門病院がある)。
女性は屈み込んで男の子に話しかけ始めていたのだが、何となく違和感があった。 その内に如何にも母親、と云う格好の女性がどこからともなく現れると、最初の女性はスーッと人混みに消えて行ってしまった。

やがて時間になり指定されたコーチに乗り込んだのだが、完全な自由席ではなかった。
乗客係りが行先を聞くと、 「向こうの方に行ってくれ。 駅名が書かれた紙の下に座ってくれ」 無愛想もいい所。
荷棚の下に、途中の大きな駅の名が手書きされた紙が下がっている。 発券状態は既に判っているのだから、まとめて座らせ、まとめて降ろす為だ。
頭数が合わないとおかしくなる。 これもテロ発生以来からの警戒の一つなのだろう。
エル・パソは無い。 遠すぎるからか。
再度聞くと「此処に座ってくれ」 窓際にはこれ又、無愛想な親爺。 何で東洋人が、という雰囲気が伝わってくる。

3, 4時間も経ち、席が少し空いてきたところで、別の乗客係りに席を替えてくれ、と言うとOK。
暫くして、先程の女性が特大のマグを片手に後方に向かって通り過ぎた。
ラウンジでコーヒーを入れてきたのか、帰りに誰に言うとも無く 「沢山コーヒーが必要なの」 と大きな独り言。 目立つ。
1時間もすると、又、マグを持って・・・ そんなに飲める訳でもないのに・・・・
通路の反対側には若いカップル。 学生の様だ。 ラウンジ・カーで景色でも見たいのか行ってしまった。  暫く帰って来ない。
大分経って先程の女性がやって来た。 私の斜め二つ前の席に入ると、荷棚の荷物に手を伸ばし、中を探っている。
前の車輌の客の筈なのに・・・・  間違えた、と云う所作で戻って行ってしまった。 カップルの席は未だ空いたまま。
暫くして女性が戻って来た。 横の席に入ると、棚からある大きなショルダー・バッグを降ろし、ジッパーを開けて中の物を探っている。
中身迄出し始めた。 まるで自分の荷物を調べている様に。
流石に、声を出して、「其処は君のシートではないだろう?」
「席を間違えたワ・・・云々」 悪びれもせずスーッと立ち去った。
30分程してヤング・カップルが戻って来ました。
「さっき、女の人が君達のバッグを開けて中身を出して見ていたよ。 声をかけたらやめたけれども、何か無くなっていないかい」
「ウワー」 大慌てで中身を調べ始めた。 「良かったー、何も無くなっていない」
その時の状況を詳しく説明。 周囲の乗客も聞き耳をたてている。
セント・ルイスが カップルの降車駅と記憶している。 礼を言いながら降りて行った。

足を伸ばす為に多くの乗客がプラットフォームに降り立つ。 喫煙時間でもある訳だ。
自分も外の空気を吸いに出て、ブラブラしていると、前方に小さく例の女性が立っているのに気が付いた。  ゆっくりと回れ右。
暫くして車掌が、「皆、乗車!」 と声をかけながらやって来た。

乗降口は車両中央。 私が座っている前半分側の乗客は何となく事情を知ったようだ。
件の女性が、前の車両から入って来た。 相変わらず巨大マグを片手に持ち、後方に通り過ぎて行った。 周囲は何となく彼女を気にしている。
暫くして 「何時もコーヒーが無いと・・・」 と独り言を言いながら戻って来た。
それから15分も経っただろうか、乗降口後ろ何列目かでザワザワし始めた。 哺乳瓶が無くなった、とか聞こえてきた。 しかもショルダー・バッグの中からだ。
後部の乗客は何が前方であったのか気付いていなかったようだ。
乗客係が呼ばれたのだろう、事情を聴いている。 こちら側の乗客も加わり、説明しだしたので、自分も加わった。
マグの女性は目立つ存在なので、乗客係は直ぐに判った様だ。  しかし、現状では何も出来ない、との事。
その後、マグの女性は姿を現さなかった。
セント・ルイス出発後、大分経って、いつともなしに寝込んでいたが、列車がゆっくりと走っている事で目が覚めた。
サン・アントニオとのアナウンスがあったが、転線があるので、停車しても次のアナウンスがある迄、降りれない、との説明。
本来は4時間50分の停車時間。 車内の清掃と補給、 ニュー・オーリンズから来るサン・セット・リミテッドを待ち、併結後、サンセット・リミテッドとなりロスに向かう。
以前はニュー・オーリンズ車泊(又は、ホテル)の後、ニュー・ヨーク迄クレッセント・リミテッドとしてロスから直通で行けた。
乗車して来たテキサス・イーグルは遅れる事で有名、接続の為に停車時間をたっぷり取っているのだ。

セント・ルイスを過ぎてから何となく話し合っていた立派な顎鬚の男が、
「此処は前にも来ていて、知っている。 夜中でも開いている店があるが、まとまって行くのが安全だ。 一緒に行く人は?」
食堂車はとっくに閉鎖。 賛同した4人が加わり総勢 6人。 他にもグループが出来、車内の半分程が降車した。 その又半分程はタクシーに相乗り。
暗い街の中を歩き、ポツンと開いたダイナーに直行。 髭オヤジは良く知っている。 昼は人混みがある様な運河脇の遊歩道を散策後、駅に戻った。
駅舎の影から赤い光がスッ、スッと漏れて来る。 救急車か、と思い、そちらに向かうと何とポリス・カー 2台。 数人の制服と数人の一般人。
制服の二人は車掌と乗客係。 離れた所に例の女性が立っていた。
現行犯で捕まったのかと思い、話を聞いていると、何と寝台車の二人個室に入り、ドアを閉めてバッグの中を探っている時に、奥さんだけが戻って来て見つけたそうな。

アムトラックの寝台車には鍵が無い。 以前、何故鍵がかけられないのかと聞いた所、乗客係(昔ならばボーイ)が見ているから、その必要は無い、と言われてしまった。
何時も常位置に座っている訳でもないのに、と思ったが・・・。  個室だから荷物を持ち込むのだ。
コーチに乗っていると、荷物が気になってしょうがない。 ラウンジ・カーで飲み物を買うにも荷物を持ち込まなければならない。 こちらは最低限のショルダー・バッグ一つだったが。

鍵をつけないのは、ゴソゴソする連中がいるから。 昔は日本でも超高額な上等寝台で結構問題になったようだ、2号サンを連れ込んだりして。
現在は、セキュリティーという大義名分があるし、鍵があって盗難等があれば、乗務員が疑われる。

はっきりと何かが盗まれた、と判っているのではないので、どうするかを話し合っていたようだ。
私も加わり、何が起きたのかを警官に話した。 髭オヤジは後部での出来事を。
車掌は女性を降ろしたいのだが、警官は「其処迄は・・・」 と云う事らしい。
全員ですったもんだした挙句、車輌に戻ってくれ、との事。
警官の一人が女性に話しかけ始めた所で、その場を去った。
車内では、その話で持ち切り。 やがて赤い光が消え、暫くして乗客掛が戻って来た。
早速、取り囲んで、どうなったのか聞いた。
車掌の判断で、降ろしたとの事。 差額を払い戻し、目的地迄バス乗せる為に、警官がポリス・カーに乗せ、明朝迄保護する、と言った。
目的地の病院に息子がおり、見舞いに行くとか言っていたそうだが、それも本当かどうか。 シカゴで見た子供からの作り話かもしれない。
それからは皆、ぐっすり眠れたようだ。



サン・アントニオ駅。 線路側の出入口。現在は閉鎖されている。  貨物列車が轟音と共に通過していった。



早朝、日が覚めると、テキサスの原野



                                               右:サンダーソン駅舎。 これでも現役。







1928年に落成した、金がかかっている小さなホテル。 ビッグ・ベンド国立公園に近く、現役。 街の名はマラソン。








左2枚:アルパインの駅舎と待合室内部。




右上2枚:何時の間にやら線路が近付いてきていた。

下左2枚:続けてインターステート道路も直ぐ傍だった。 大きな休憩所を横目に見て。



        大雨が降った時に水が流れるドライ・ベッド。




この付近は砂と赤土で不思議な模様を作っている。お菓子のようだ。






遠くに州道でも並行しているのだろうか、細長く街並みが見える。  左下では煙が見えた。 火事かもしれない。


 右、下段:植林用の苗木を育てているようだ。




エル・パソの駅構内に入ってきた。日本では昔程タンク・カーをみかけず、コンテナーが多用されているが、アメリカではコンテナーは少数派。


   
 エル・パソ駅舎。 当時の主要駅としては大きくない。  2,3 番目:エル・パソ交通博物館。 星条旗と共に翻るテキサス州旗。市バスで空港、リムジーン・バスでアラモゴードへ。





 突然コーンが現れ、全社、建物の方に誘導された。 ボーダー・パトロール。 不法入国者のチェックを随時しているようだ。




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