白紙


イーリー〜ウィンスロー〜アラモゴード

                               イーリー 6月27日、28日

   左1枚目:モテルの正面。             2枚目:宿泊棟からカジノの横。    3枚目:メイン・ストリート。人も車も少ない。 4枚目:ホテル・ネヴァダ

蒸気機関車の運転の為、ネヴァダ・ノーザン鉄道の駅舎に向かう。 前回よりも綺麗になっている。

試験を終えて、指定時間に戻ると、駐車場で、アンティック・カーを見つけた。
何やら当時風服装の二人が駅舎に出たり入ったり。 車は 1928年製のフォード・モデルA のようだ。

こちらが出発すると、追っかけて来て、100m 程必死に併走。
 

機関車運転中の写真は、拡大しません。 興味のある方は鉄道メニューからどうぞ。

運転が終わったのは15:00時過ぎ。 夜の運転になるので、もう一泊する事に。 ディナーは、明るくて食べやすいので、失礼ながら前のネヴァダ・ホテルで2夜とも。

帰りの行程を綿密に練り、モテルのメモ用紙に書き込む。 時間的にはフラッグスタッフに夕方に着くのだが、距離を伸ばしたく、次の大きな市、ウインスロー迄
行く事にした。 もう一つの理由はウインスローの鉄道施設を見たい、と云う事もあった。 ウインスローで宿泊できれば、2,3時間は節約できる。  朝は簡単な朝食付。




イーリー〜ウインスロー 6月28日

      イーリーのガス・ステーションの先は、十字路になっていて、来た方角から言えば、右折、ところがラス・ヴェガス方向のサインは直進。
      給油をしながら地図を見てもはっきりしない。 サインを信じてルート6に直進。

      道は合っていたのだが、50km 程行った所の小さなサインを見逃し、直進してしまった。 野原の真ん中で突然だ。
      直進表示はグレート・ベーシン・国立公園とあったので、それに気を取られた事もあると思う。

      下2段目左の写真がその分岐点。 ルート6は一直線に山に向かっている。 その先にある大規模な風力発電設備。 航空写真では判るが、
      ストリート・ヴューでは出てこない。




グレート・ベーシン国立公園と言っても何の変哲も無い。横道に入れば違うのだろうが。 公園を過ぎ暫くするとモテルが付属したガリソン・スタンド。 休憩14:40


分岐点から 100km 程、東に走ると 2800m 級の山があり、それに連なり低くなってくる場所を抜けなければならない。 最高点は約 1700m 。右写真がそれ。


もうユタ州に入っているのだが全く気付いていない(先程のモテルの名がボーダー・イン、州境だったのだ)。

右写真から 160km 程行った所のヒンクリーという街を通り抜けたが、何となく見覚えがある気がして、一軒合った小さなガソリン・スタンドも通り過ぎてしまった。
周囲は緑の畑。 数分走ると、又、街に入っ出した。 道路標識を読むと、右、ソルト・レーク・シティと書いてある。
エェ、と自分の頭を疑った。 前の街より大きそうだが、先の方に家が立ち並んでいる訳でもない。 何が何でも確認しなければと、

Y 字の間にあったシンクレア・ガソリン・スタンド付属、恐竜マークのコンヴィーニエンス・ストアに飛び込んだ。
最初に聞いたのは、此処は何処ですか?  答えはデルタ、ユタ州。 暫くは声も出なかった。
ラス・ヴェガスの方に行くので、ルート15に乗りたいと聞くと、一本道だから簡単だけれども、そこに出るのに道を間違えなければ、と教えてくれた。

この店にも地図は売っていない。少々の食糧を買い込み出発。 しかし、走っても走っても教えられたホールデンという地名は現れない。
裏道のような道を教えられたのだと思う。 しかし、走る事暫し、目的のルート 50 に入っていた。
そしてホールデンというのはルート 15 への入り口そばの街だった。 デルタから 43km.。

高速道路の入り口に入る道や田舎の主要道路で時々見かける物がある。 道路巾の鉄格子で、長さは 1m 弱だろうか。 下に水路は
見えないし、私の結論としては通過防止柵。 事故、災害、事件の時、誰かを送り、跳ね上げれば通れなくなる、と思っているのだが・・・。

後から地図で調べると、ユタ州の 1/3 位横切った事になる。イーリーからは 245km.。

    下左写真は入ってから約 65km 南。 ここから約 83km 走って、周囲に何も無い荒原の大きなレスト・ストップで食事と給油。 既に16:00過ぎ。 何処迄走れるのやら。



セント・ジョージを一寸南へ行くと、アリゾナ州。 左側はモハーヴェ砂漠、とは言え平地ではなく、あちらこちらに侵食から残された台地が残されている。 徐々に山岳地帯に入って行く。 


次の街リトル・フィールド迄に二箇所の岩盤を掘り下げた区間を通る。 上の段は最初の区間と思う。 


二番目の切り通しに入って行く。 道路は右に左に曲がり、その両側には怖い位に垂直な壁が道路に迫っていた。  こんな景色は始めて。



切り通しを過ぎると、左にリトル・フィールド、右にビーヴァー・ダムと云う名の街の間を通っていく。 昔、大きなビーヴァのダムがあって有名になったようだ。

次の街メスキートでは又、ネヴァダ州に戻る。  上左から2枚目113マイルのサイン。 何処からか? 変わり映えのしない風景を行く。

昔は砂漠の中の町、ラス・ヴェガスと言われただけに気配も感じられない。


いよいよラス・ヴェガスの郊外に入ったが、前面は雨雲の下、激しい雷光も見え、突風も吹き出した。 まるで夕昏時のようだ。

どうにか標識を頼りに、片側5車線の右側から2線目を選び、市内の西側、著名なカジノ・ホテル群を右に見ながらラス・ヴェガスを駆け抜けた。

郊外に出た辺りで天気は回復しだし、前方は晴天。ボールダー・シティを通過。 左手に湖が見え、人造湖と思った。
送電線群が現れ、フーヴァー・ダムが近いのか、と考える間も無くダムが見えた。
アッ、フーヴァー・ダムと理解した時には、狭い峡谷の上に架けられた橋を渡り過ぎていた。
先程の湖はフーヴァー・ダムで出来たミード湖だった。

  残念ながら道は湖からそれていったが、2,3分の間、ダムの下流の峡谷を見る事が出来た。 カメラは仕舞ったまま。前もって、地図を見直せば良かったのだが。
  橋を越えた所で、アリゾナ州に戻る。

暫くして日が暮れた。  最初の通過地点、キングマン迄急がないと、宿泊予定地のウインスロー到着時間の予測も立たない。

キングマンでインタースタート 40 に合流。 この道路でアリゾナ州東西殆どを横切る事になる。 キングマンの名が頭に残っていたのは鉄道の要衝地だったからだ。 
最初はここも宿泊予定地の一つだったのだが、此処で泊まれば、明日中にアラモゴードには戻れない。

周囲は真っ暗、丘陵地帯というか山の中というか。 フラッグスタッフ迄、半分と云うところで、ウインスローの駅に近いモテルに遅くなるが、と予約を入れた。

モテルに着いたのは真夜中を過ぎてから。 大変な運転だった。 道を間違えていなければ 880km。 1000km 程を走った事になる。





ウインスロー  6月29日


モテルは $89+Tax で、もう一軒より高かったのだが、こちらの方が便利だし、妥当な値段と思う。 簡易朝食も悪くなかった。


左: 昔、鉄道施設だったであろう土地が公園になっている。 2枚目 駅前通。 これも例のルート66。観光客もチラホラと。 
この先にあるアムトラック駅隣のハーヴェー・ハウスは復元され、現在宿泊可能。  

3枚目:鉄道施設の裏側に回ってみた。左奥が街の中心。 大きな貨物操車場や工場もあった筈なのだが。

右:この辺で知られた原住民製作のお土産販売店。 安くはない。 この手前のレスト・エリアで燃料と食料の補給だが、トラックは勿論、自家用車でも混んでいた。
客の8割程が原住民。 レスト・エリアでこれ程多くの原住民を見た事はないので驚いた。

下左:ウィンスローを出て暫くすると火力発電所が見えた。 左側は燃料の石炭。

次の大きな街、ホールブルークの先にはペトリファイド・フォレスト国立公園がある。 樹木の化石に興味がある方はどうぞ。



右から2番目:国立公園の東から 50km 程の所に大きなタンクが見えた。余りにも大きいので、何か判らなかったが、後程、
サンダースという街にある農業用サイロと判った。グーグル・アースで見ると、ホッパー・カーの積込線が3本。
30両以上入る穀物列車の待機線が並行して4本、その前後にも 3本づつ、と大変な規模の設備と判った。
この付近は複線だが、グーグル・アースでは貨物列車が次々と走行しているのが判り、輸送量に圧倒される。



中央:多分アリゾナ州最後の出口。  右:ギャロップ。 中心部は道路がアメリカとしては狭く、走行車と観光客が多いので写真はこれだけ。

その後大した変化もないので、風景写真はこれでお終い。





                                 アラモゴード  6月30日



ツラローサ・ベーシン歴史博物館。 この近辺の歴史的な物の展示。 歴史が浅いので戦後の展示物迄ある。
古いアタリのゲーム機が砂漠に埋められ、又、掘り起こした、なぞと言うのもある。

右写真:記念公園の入り口。博物館から道路を隔てて正面。


左:レンガ造りの建物。昔は劇場だったのかもしれない。  右:巨大スーパー・マーケットのサービス・カウンター付近。

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