312_Tarrytown

















































2000年2月 赤ランプ点滅で、ストップ・サインが掲出されている。停車しているのは交差点の中。

































































































































































































 2006年 モース・スクール

































1986年 5,6年生のコンサート
































































































































 1989年 高校の校舎

 1989年 体育館の裏

 2006年 正面 増改築中


























下3枚 2006年 ハックリー・スクール

 校門 左側はグラウンド

 

























上下 ドームに見えるところがメリー・マウント・カレッジ













 
教育システムはしょっちゅう変わりますので、現在どうなっているのか判りません。 当時の情報として読んでください。

        タレイタウンのスクール・システム

 スクール・バス

私がこの村に引っ越してきたのは1975年5月。 その年の9月から長女は小学校。
前の年の暮れに長男が生まれており、その頃から教育環境の事を深刻に考え始めました。
当時のマンハッタンの公立学校は評判が悪く、越境入学とか国連の小学校とかも考慮しましたが、通学の事とか、付き合いが片寄るとかの問題があります。
私立の学校はとても高く、手が出ません。幼稚園で同じ年の女の子を持つ日本人のお母さんと話をすると、親同士の付き合いも想像以上に大変だとか。
小さい子供のパーティに、本人だけお抱え運転手付きの車にちょこんと乗り、送り迎えされて来るとか、プレゼントが高価でお返しをどうして良いかと解らない、ヴァケーションに招待されても経費は自分持ちとか、そんな事ばかり。 とても付き合いきれたものではありません。
3ヶ月程考えた末に郊外に引っ越す事にしました。 我々自身も泥棒に入られたり、大家の契約不履行等でマンハッタンの生活には疲れてきたのです。
9月になって学校初日、キッチンの窓から眺めていますと一年生は数人。 
さすがに全員母親が一緒、早速紹介しあっています。 それも束の間、大きな黄色いスクール・バスがやって来ました。
こちらでは、公立の学校は幼稚園から高校迄、親と学校の承諾が無い限り全てスクール・バス。 
学校迄大人の足で数分の所でも小さい子はバス。 
各児童の家から道路を横切らず行ける範囲内に、スクール・バス・ストップが必ずあり、時間になるとその辺の子供が集って来ます。
小さい子の場合は親が同伴。 バスの数や運転手を雇う予算の関係上、全学校の始業時間を同じにする訳にはいかず、幼稚園から高校迄、始業時間は30分位づつ程ずらしてあります。
このバス・スケジュールとルートを説明した紙は夏休み中に送られてきますが、何処の家でも待ち構えています。 ルートが変わると、学校に近くてもルート最初の方で、それから、あちこちをグルッと回るという事もあるからです。
中学生位になると、5分集合時間が早くなっても寝る時間が減る、とブウブウです。
高校になると、学校で希望者の為に行われる自動車教習があり、ジュニア・ライセンスが取れますから車で通学する生徒もいます。 これを受けなくても免許の収得は出来るのですが、保険金の掛金が2倍、3倍になります。

スクール・バスは数人乗りのバンから、映画等でお馴染みのエンジン部が突き出した、日本で言えばボンネット・バス迄3,4種類。 旧型といってもまだ製作は続いている筈で、正面衝突の時にエンジン部が突き出している分安全だ、という意見があります。 しかし運転手からの死角は大きい筈。 大きなミラーが各所に付いていますが、1997年には、ニュー・ヨーク市近辺で短い期間に、2件も子供が轢かれたり引きずられたりする事故がありました。

私も鉄道ストの時に、代替バスとして何回か乗った事がありますが、乗り心地は大変に悪く、何回かでやめてしまいました。背もたれは高く、子供が座れば前は何も見えません。 座席間隔が狭く、硬くて滑りやすいシートは中学生でも相当きつい筈。 一時、事故が多発し、シート・ベルトの設置も最近になって全ての州で義務づけられたようです。

色はご存知の通り黄色。黄色と赤の大きなランプが前後に付いており、子供を乗せて市街地走行中は黄色いランプの点滅。
赤ランプが点滅し、運転席の横にストップ・サインの鉄板が突き出ている間は、後続車、対向車、横道からの車、全て停止して待たなければなりません。違反車がいれば運転手は警察に事後報告でき、走行時の法規違反としては、一番きつい罰則になる筈です。
しかし、バスの後ろで停止中に、付き添いの親と運転手が雑談を始めたりすると、本当にイライラしてきます。 又、スクール・バスというのを楯にして、荒い運転をしているのが結構目立ちます。 先日もロング・アイランドで調査をしたところ殆どのスクール・バスが制限速度オーバー。 70マイル(112km/h)近くで走っていた運転手もいたとか。 スケジュールが秒単位のように詰まっていて、スピードを出さないと間に合わない、これはスクール・システムのスケジュールの問題だ、と殆どの運転手が言い訳をしていたとの事。 もっと郊外に出ればノンビリしているとは思いますが。 ともかくスクール・バスのそばを出来れば走らない事。

1998年にニュー・ヨーク市近郊でスクール・バス内での忘れものが多発しました。
単なる忘れ物ならよいのですが、これは物ではなくて、者。 バス置き場に戻った時に車内を確認しない事から起きるミスです。 背もたれが高く、只でさえ前から見えないのに、寝込まれてしまうとシート毎に確認をしなければ見過ごします。
ドアには鍵をかけますから、目が覚めても出れませんし、バス置き場は人通りも余り無い所。 ひどいケースでは翌朝まで発見できず大騒ぎしたというのもありました。 勿論こんな事はしょっちゅう起きている事ではありません。 運転手の名誉の為に書き加えておきます。


 スクール・システムの運営
この村の学校システムの正式名はユニオン・フリー・ディストリクト・オブ・タレイタウンズ。
最初の内は先生の殆どが組合に加盟しているのに、ユニオン・フリーとは何ぞや、歴史的な理由でも、と思っていました。
しかし、よくよく考えて見れば、私の勘違い。ユニオン・フリーで切るのではなく、ユニオン、そしてフリー・ディストリクトと読めば納得がいくのです。 即ち2つの村の統合システムでユニオン、両村からの自由通学ですからフリー・ディストリクトとなるようです。
他の地域からの越境通学もOKですが、学力のせいか、他の村の学校に子供を送る親がいても、この村に子供を送り込む事はないようです。 もっとも越境の場合、学校運営費は各自治体毎ですから、公立でも学費を払わなければなりません。

アメリカの学校組織は地方分権化され、運営は各々の州市町村で行われています。 連邦政府には教育省があり、補助金は出していますが、国としての教育方針を打ち出すだけで実際の権限はありません。
州の教育委員会は、教員資格を設定し、教員免状の発行をしたりしますが、多くの州では学校教育自体に直接的に口を挟んではいません。 ですから、州最大の課題は、国や州からの補助金をどう割り当てるかのようです。
しかし、州によっては教育方針や運営迄介在する所もあります。 幾つかの保守的な州では、1968年の連邦最高裁の判決迄、ダーウインの進化論を生徒に教える事を禁じていました。
1987年の最高裁の判決ではそれを一歩進め,「神の創造」説を義務づけ「進化論」と平行して教える必要はない、との判断を出しています。 進化論は一つの解釈の仕方として触れるだけで、創造説の方が正しいという教育方針の州が多かった為です。
1920年代、テネシー州で進化論を生徒に教えた事で学校を首になり、裁判でも負けた教師の話は映画にもなりました。人間と猿の先祖が同じと言った事で有罪となったのです。 今でも進化論は一つのアイデアであり、人間は神が創り出したもの、猿の親戚ではないと教えている州や、これらの範疇には踏み込まない、即ち進化論も創造説も教えない(ところが、教会に通えば創造説は自然に教えられます)教育委員会がいくらでもあるようです。
この項を書いている時、たまたまこれに関する記事がニュー・ヨーク・タイムスに又出ていました。 1998年の11月24日付けの科学欄によりますと、ルイジアナ州での387人の生物学の教師のアンケートによれば、24パーセントが創造説を信じ、29パーセントは高校の生物学で創造説を教えるのは妥当だとしています。
この科学の世の中、どうなってるのかと首をかしげたくなりますが、これも宗教勢力の底力のあるアメリカならでは。
白人の移民により作られたアメリカ、当初は家庭から学校迄キリスト教の教えのもとでやってきました。 公立学校でのお祈りや、強制的な聖書の勉強は1962年の連邦最高裁判決で禁止されていますが、地域に依っては始業前に黙祷をさせている学校も多いようです。 黙祷の内容は本人次第だから、キリスト教のお祈りではないという事で。

変わっていないのは、殆どの教室に大きな星条旗が飾ってあるという事。 他の主要国でもそうでしょう。そしてアメリカの多くの学校では、朝礼代わりに星条旗、即ち国に対して宣誓を行っています。 又、学校での式典でも全員起立させられて、国歌を歌い、場合によっては国に対する誓いを唱えなければなりません。私は未だに憶えられなくて、口をモゴモゴしているだけです。
日の丸の旗は別の呼び方をすると日章旗。 戦前の学校には旗と御真影があり、日章旗と戦争のイメージとを結び付ける人が多いようですが、国歌や国旗を戦争の旗印にしたのは軍部、それ自体に罪はないと思います。愛国心には、どこの国でも矢張り旗印が必要ではないのでしょうか。日の丸程シンプルで美しい旗もないでしょう。 最近「君が代」問題でもめたようですが、イギリスの国歌も王室が関係していますが、天皇をシンボルとして日本の平和、将来を願うのならば、別に改めて国歌を制定しなくとも、と私は感じています。アメリカでよく聞く愛国心という言葉自体、日本人にはどうも誤解されそうですが。

 学校税
学校の運営は、基本的には各々の市町村固定資産税でまかなわています。
村からの税金請求書にはスクール・タックスという項があり、この村では税金の半分以上が学校税です。これをめぐっては、あちこちの地方自治体で騒ぎが起こります。 
一番大きな問題は不動産税の不平等課税です。
若い世代の多い学区では、税金が高くても文句はそんなに出ませんが、1970年代以前に人口の大量流入があった街では、もう殆どの家庭で子供達は家を出ているので、税金の値上げ、特に学校税の値上げには反対の側に回り、若い世代と年寄り世代の対立となります。 人口構成に老人、しかも引退して年金生活をしている人達が多くなると、今度は固定資産税の割引もありますから、学校予算はますます厳しくなります。
この村では、ジェネラル・モータースの工場が閉鎖され学校予算が大幅に減ってしまいました。 
このGMの話には前置きがあります。 GMが閉鎖を発表する数年前、マスコミに閉鎖予定工場の一つとして、ここの名前を発表したのです。 その後、村に対し不動産税の減額を申し立てました。 これは一種の脅迫。 
どこの大会社でもそうですが、工場の新設、統合、閉鎖時には自治体同士に競争させます。 大きな工場ですと何千人もの雇用になりますから、一番好条件の所を検討中と発表します。 すると自治体によっては、不動産税から企業の所得税優遇、場合によっては土地の準備から、技術学校の設置迄約束する所も出てきます。
GMの場合も、全米の中で一番コストの高い工場から閉鎖すると宣言した訳です。ここだけでなくテキサスとミシガンの工場も天秤にかけられました。 会社内部での天秤なら勝手にどうぞ、ですが、地方自治体の将来が天秤にかけらるのでは敵いません。
3000人もの雇用者を抱えるタレイタウン工場、失ったら自治体には大変な損失。 州は安い電気を供給し(ウエストチェスター郡の電気代は全米で最も高い部類に入ります。)、3層の自動車運搬専用貨車が通れるように鉄道を整備し、村の方は不動産税を4割程下げさせられたのです。
この不動産税異議申立ては、この前後から全米に広まっており、目を付けたのは勿論法人が最初。 何処の市町村でもそうですが、不動産税は取り易い所からドンドン取り立てます。一軒家を所有している人達は長期居住者、又はその可能性が高い人。 団結し易いですし、大きな固定票となり政治的に一番やり難いところ。 次はアパート。これもコーオプは会社組織で場合によっては住人が結束しやすく、それ程は高くできない。 コンドミナムがこれに続き、賃貸家屋、そして一番取り易いのがビジネスとなります。
ニュー・ヨーク市はこれの極端なもので、市場価格が同じような一軒家を郊外と比較すると、評価額は勿論低く、それに又低い税率を掛けるので、不動産税は郊外の半分以下となります。そのシワ寄せがアパート、ビジネスの方に回っていくのです。 勿論、全ての税金の上げ過ぎで、マンハッタンから本社が出て行った例は70年代から増えましたが。 折々マスコミ等がニュー・ヨーク市の税率は大変に不公平だ、と叩き、政治家も、どうにかしなければとは言っていますが、連中には税率の均衡化は禁句。 選挙での落選を大変に恐れています。
ビジネスには元々その街の良き市民であらねばならないという思想があります。少々不動産税が高くても(といっても何処の街でも同じような税制ですから。よっぽどのメリットがなければ引越しはできません)地域サービスのようなものと割り切っていたようですが、80年代から利益の追求のみをせっせとするようになり、土地の価格も急騰から急落になり、不動産税のかけ方が不公平である、と裁判所に申し立てを始めたのです。
若い従業員や従業員の大多数が同じ学区内に住んでいるのならば我慢もできますが、タレイタウンのように殆どが通いですと、その地域に払う学校税の意味が減ってくるという理屈です。 GMの異議申立て理由は、算定基準がはっきりしない、他の建築物と比べ評価額が高すぎる、学校税にそんなに貢献する必要はない、とかでしょう。 
とにかく村は大幅に不動産税を下げる羽目となってしまいました。 挙句の果ての閉鎖ですから、あの騒ぎは一体何だったのだと考えさせられます。 今や企業に見習い、アパートから一軒家の持ち主の間に不動産税の異議申立てが一時の流行になってしまいました。
査定対象の重点はアメリカでは建物。土地の値段は安いので、家の作り、大きさ等が一番の要素。 レンガ造りの方が木造よりも高いですし、プールの有無や寝室とかバス・ルームの数、地下室や屋根裏に完成された床や壁があるかないか、等です。
査定は本来なら何年かおきに行われるものなのですが、人手が足らず、家が売れた時に売り値を照らし合わせ、査定を仕直すというのが殆ど。 同じ期間内に何回も売られた家の方が評価額が高くなるという不公平も生み出します。
異議申立ては自分でもできます。役場で台帳上の評価額を調べ、その付近一体の不動産税を知り、最近売れた家の状況や価格を自分の家と比較するのです。 他よりも随分高いと思える場合、村の裁判所に異議申立て申告をします。
代行をしたい、という弁護士達の手紙が最近春になると頻繁に来ます。ウエストチェスター郡では、向こう何年間の間に全て査定仕直すと言っていますが、その後はどうなるのでしょうか。 私の家の場合では、市場価格は査定額の倍一寸。査定額を高くすれば、税率を低くしなければなりませんし。全ての建物となると大変な仕事ですね。
人気があり人口過密な地域では一軒家を改造し、2家族以上居住可能にした家が増えています。こういう家に付属したアパートは、若いカップル用の小さなものが多く、住人が増え税収が上がらない割には、学校に対する予算や公共駐車場、ゴミ回収機能等を増やさなければならないというジレンマがおきます。
しかし年寄りが、子供達の出て行った後、こっそり改築し、違法のアパートを作った場合には目をつぶる市町村が多いようです。取り締まる係員を増やす予算も無いようですし。
スリーピー・ホロー村の方は中南米からの移民や不法滞在者がタレイタウンよりも多く、若くて結婚し子供を沢山作ったり、仕事も無いのに親族を呼び寄せたりしていますから、一軒の家、アパートに何家族かが住む事になります。これ又税の増収にはならないのに生徒の数が増えるという現象を引き起こし、大都会、その近郊での共通問題点になっています。私の妻はタレイタウンの公立保育園で10年少々働いていましたが、教え子の女の子が何年もしないのに、もうその子供を連れて来るんだと一時驚いていました。14,5で子供を作り3年後には、保育園ですから、仕事を止める頃には、孫を連れてくるのがいた位。
ニュー・ヨーク州ではスクール・タックスの負担を減らそうという事で、固定資産税減税措置を取る事になりました。 1998年はまず老人家庭から。 学校予算の足りなくなる部分は州の一般税から補足するといっていますが、選挙対策臭くもあります。 景気が良い時はそれでも好いのですが。
その他、州の宝くじ、ロットは税ではありませんが、売り上げの10パーセントとかが教育費に使われるという事で始められました。ギャンブルの儲けを教育費に当てるのは、と最初はかなり論争になりました。

もっと大きな問題は、全米的に見て貧乏人が多い地区、即ち税収の多くない州は学校が貧弱であるという事です。 ニュー・ヨーク市でも財政難の時には、体育、音楽の時間を削除し教師を首にしたりしました。
妻の友人で、教師に成り立ての若く張り切った女性が、ニューヨーク市立小学校の先生に任命されました。 行かされたのはブロンクスの環境の大変悪い学校。 夢一杯でいたのですが、半年もしない内にコボシ始めました。
学校への行き帰りが危ないのは自分が警戒していれば済む事だけれども、教材が無いのには、どうしょうもない。本来は割り当ての数が置いてある筈。勿論必要な物を書類に書いて出すけれども、まるっきり音沙汰無い。 私は自腹を切って子供達の紙や鉛筆迄買揃えているんだ。ナイナイずくめだ、と。
この極端な例は後程、教育委員会の連中達が無い資金を横領していたと報じられ、まあまあ、子供の教育への金をよくも海外旅行等に使えるもんだと呆れ返ったものです。これは特別としても、福祉家庭を多く抱える市内の学校、特に地域に大した産業も無い所では、援助は出ていても当座の事で精一杯。
教科書をもう何年も新しく買い替える事が出来ずにボロボロだとか、雨漏り校舎で勉強しているとか、もうアメリカとは信じられない話を聞きます。
皮肉なのは、それらの街の郊外に、流入してきた白人の為に比較的裕福になった学区があり、楽器から顕微鏡まで全て揃って全校の成績も良い、という例が間々あるのです。
州で金を出せない所は本当に惨めですね。 学校の全国平均の成績は大変に悪い。成績が悪く、環境も悪ければ優秀な先生も来ないし、金がないから科目を増やすどころか減らさなければならない、コンピューターなぞ寄付でもなければ及びもつかない。堂々巡りの最悪状態です。
もし全てが平等という事であるならば、教育こそ平等であるべきなのですが。 勉強机の隣り同士が平等であればそれで良い、という考え方なのかしら、と考えてしまいます。これも選挙では票を集め難い事の一つなのでしょうけれども。
金持ちは郊外の学校、又は私立へ。 中流より少し下ならばカソリック系の学校と結構逃げ道があるのです。 ここの所、大統領選挙では教育問題がかなり取り上げられますが、初等教育よりも高等教育の方に力が入っているようで、まだまだ様々な問題を抱えています。

 初等教育の全般
タレイタウン統合学区内には現在5つの公立学校と、幼稚園から高校迄ある私立学校が一つ、一般にカソリック・スクールと呼ばれるパロキアル・スクールが一つ、これ又宗教に関係ある、今や全米でも珍しくなってきた女子専門大学、そして、そのキャンパス内にあるマンハッタンのフォーダム・ユニヴァーシティのグラジュエート・スクールの分校と数だけは揃っています。
公立の方から説明しますと、プレ・キンダーガーデン(保育園に当ります)、キンダーガーデン(幼稚園)、エレメンタリー・スクール(小学校)、ミドル・スクール(中学校)、ハイ・スクール(高校)となります。
私達が来た頃は普通に 1・6・3・3 制でしたが、途中から 1・5・3・4、そして 1・1・5・3・4 となりました。義務教育制度の内容は州によって決められるもので、12年間で終わらせればよい訳ですから、学区によっては、5・4・3 だったり、8・4 だったりします。
ニュー・ヨーク州では、幼稚園は義務教育と同じと見なして良いでしょう。アメリカの教育水準は外国と比べ、全般的に遅れているのがはっきりとし、又教育の開始は早ければ早い程良い等という意見が一般的になって以来、教育の開始を早める風潮となってしまいました。
教育熱心な親は3歳、即ち保育園から学習を始めるべきだと叫んでいますが、3歳ではまだ差がありすぎ、全員を同じレベルで教育をする事は無理だと思うのですが。 現在多くの州で幼稚園教育は義務教育システムに編入されているようです。
プレ・キンダー・ガーデンは保育所というより、次の年に幼稚園に入る子供で環境的に集団行動に慣れていないとか、能力的に遅れている幼児を重点的に入れる幼稚園への準備場所、という事で、この村ではやっているようです。
そういう訳で子供に何年生と聞くと、9年生、とかいう返事が返ってきたりして戸惑します。日本ですと当然、中学3年生と答えるでしょう。 学校は、と聞けば、モース・スクールとかワシントン・アービングとかいう返事が返ってきて、その学区システムを知らなければ、小学校か中学校かも判りません。
日本と比べると、小学生、中学生という感覚が余り無いようです。 さすがに高校になると他の学区とスポーツの対抗試合がしょっちゅうあり、学校に対する誇りからか団結心なのか、又は進学率の事もあるのか、スリーピー・ハイ(スクール)という返事が返って来ます。
校舎としてはタッパン・ヒル、ジョン・ポールディング、モース (これはスリーピー・ホロー村にあり、昔はノース・タレイタウンの高校だったそうです)、ワシントン・アーヴイング(W.I.)、スリーピー・ホロー(隣村)があります。
タッパン・ヒルはプレ・キンダーガーデンと幼稚園、ジョン・ポールディングが小学校の低学年、モースが高学年、ワシントン・アーヴィングが中学校、スリーピー・ホローが高校と現在はなっています。
中学、高校以外は、その時の各学年の生徒の数で校舎が代わっています。娘が小学校に入った時には、ピアソン・スクールという校舎があり、小学校の高学年が通っていました。前章でコンドミナム・アパートメントとして紹介した建物です。
娘が産まれた年は、第二次大戦後新生児の一番少なかった年に当ります。1970年代の中期で、経済は下向き、ピアソンは、娘が3年生になった時に廃校され、スクール・システムの変更が行われました。
暫くの間、景気の問題と再使用が難しい、という事で放置されていましたが、最終的には開発業者が買いアパートに改築されてしまいました。
皮肉な事にこの何年かの間に新入生の数が急増し、教室が足りなくなってきました。初等教育の方は校舎を分散できるとしても、高校の方はどうなるのでしょう。(2013年 生徒数が増えすぎ、学校のホワイト・プレーンズ・ロード南側への移転、統合、新築が計画されていましたが、その後どうなったのか   どうやら増税反対派で潰されたようです
蛇足で言えば、ダブリュー・アイは1897年から1925年迄は幼稚園から高校迄の校舎、その後1957年迄はハイ・スクール。 F.R.ピアソン・スクールは1925年から1979年迄小学校と、人口の推移を物語っています。

 教科書
教科書は日本と違い、一年を通して同じものを使うので一冊一冊が参考書のように厚く、運ぶのが大変です。
日本人がイメージするアメリカの学生は教科書を持って歩かない、のようですが、それは昔の事。 勉強をしたくない子供や記憶力の大変良い子供は別として、宿題の為に教科書を持ち帰らなければなりません。全米の学力を上げる為か、どこの学校でも大幅に宿題が増えているようです。 
娘は背骨が悪く重いものは持てないと学校に申請し、家に置く為のもう一セットの教科書を出して貰い、何も持たずにチャッカリと学校に通っていました。 背骨の専門医には心配する程の事ではないと言われていたのですが。
息子の時は、親が見て可哀相な程の教材を、軽いリュックでしょっちゅう運んでいました。日本のランドセルには入りきらない量でしょう。
教科書は毎年同じものが繰り返されて配給されます。勿論タダですが、もう何年も使われていて、前の使用者による赤線があったり、はまだしも、ケシゴムで印刷が薄くなっていたり、ページの端が切れていたりして読めない事もあるようです。
娘が小学校だった時の社会科の本等は、何時購入されたものか知りませんが、戦前の銀座通りが東京の写真として載っていました。 コストは安上がりになっても、情報は古くなります。 もっとも最近はコンピューターがありますから、地理の勉強等は問題ないのでしょう。
ノートの様式は自由。 我々の頃はノート・ブック各科目毎に1冊づつだったのですが、子供達は分厚いバインダー1冊に紙をどっさりとはめ込んでいました。

 情操教育
ここの学区では音楽の時間に、4年生から自分の好きなプログラムを選べます。コーラス、オーケストラ、バンドの三つです。
楽器は殆ど学校の方から貸し出されます。尤も学校で使うだけで、家には持って帰れません。私の娘はチェロ、息子はコントラ・バスを取りましたが、当時は両方とも希望者が少なかった為、二人とも気に入ったのを家に持ち込み、家でも練習していました。今やチェロは女の子に引っ張りだこのようです。
楽器等をして得な事は、スポーツに優秀なのと同じで、大学の入学審査に有利になります。そのつもりで始めたのではありませんが、二人共音楽好きで、中学、高校の時には週一度、外の先生に習いに行く程になりました。
毎学期行われる全校での発表会が目的で、学校での練習時間は、音楽の時間以外に休み時間も使われる事があります。
発表会は親にも見て貰う為、夜に開催されます。オーケストラは人数も少ないし一般の親の興味も薄く、引き止める為に人気の高いバンドや、残りの生徒殆どが参加するコーラスをトリにします。
音楽が好きで器用な生徒は、バンドとオーケストラ両方に違う楽器で参加したりし、娘も最初の頃は、コーラスと両方取っていました。同級生で三つの楽器を操る男子生徒がおり、授業時間(練習時間ではない)を割り当てるのに苦労していたそうです。
この中、何人かが選抜で選ばれ、年二度のオール・カウンティ・ミュージック・フェスティヴァルのオーディションに送られます。
チェロとバスは取っている生徒の数が少ない事もあって、二人共、毎回選ばれていました。 フェスティヴァルの会場は、郡内の学校の持ち回りで、場所によっては遠くなりますから、開かれるのは週末。大変な数の車が集まってしまいます。
この時もコーラスが終わると親がゾロゾロと帰り始め、何の為に来てるんだ、と言いたくもなります。
そしてこの中から又選抜された者がオーディションを受け、合格するとオール・ステートのメンバーになります。 何回か合同練習をした後、リンカーン・センターのアリス・タリー・ホールでの演奏。
これ以外に州代表のオーケストラとかバンドのメンバーになれますが、それは本人次第。 音楽で進学を目指すような生徒は加わり、各地の音楽祭等にニュー・ヨーク州の代表として派遣されます。
息子も娘もオール・ステートに選ばれ、大ホールで演奏するのを聞く事ができました。それ以外にも娘は学校からの推薦で、ウエストチェスター・ユース・シンフォニーのメンバーになりました。一度メンバーになると高校卒業迄続ける事ができます。
これは各界からの寄付で成り立っているもので、週一回、大学のホールを借り、プロの指揮者の下で練習。 発表会と公演旅行を行います。
公演旅行の費用は別として、全て無料。 娘はカナダでの米、加、国際学生音楽祭への公演旅行にも加えてもらっています。勿論、 郡と州のフェスティヴァルへの費用も無料で、着用する服もシンプルなものに決められ、誰でも無理無く参加できます。 娘はここでも友人を作っていました。
オール・カウンティにしても、オール・ステート、ユース・シンフォニーでも選ばれるメンバーは大体何時も同じですが、学年が代わり下からとてつもなく上手な生徒が現れたりして、時々驚かされます。 このような例はヴァイオリンとかピアノに多く、圧倒的に東洋人。
腕は、というとオール・カウンティはさすがにミックスされていますが、オール・ステート、ユース・シンフォニー等になると、私が小、中学生の頃、日本で生で聞いたアマやプロの交響楽団に勝るとも劣らず、の演奏をしてくれます。
この経験のお陰で二人共、合格決定後の大学の面接では、オーケストラ担当の教授に、是非この大学に入学してオーケストラに参加してくれ、と言われた程。(昔は別として、殆どの生徒は数校に申請を出し、何校かに受かっています)息子の方はあの大きなベース持参で面接に連れて行ったものですが、ベースは少ないので何処でも引っ張りだこでした。
体育の方、これもフィジカル・エクササイズという時間があるのですが、何をしているのやら、よく理解できません。シーズンによって幾つかのスーポーツがあり、その中から選ぶのですが、野球等は人気が高く、希望通りにはならないようです。
娘の方は、ハイ・スクールでフィールド・ホッケーをやっていました。 実力を調べ、優秀なら学校のチームの正選手として対抗試合にも出場、試合の結果は地方新聞にも出ますが、楽しみたい生徒はヴァーシティというチームに入れられます。 予備軍的な感じですが、上に行くと言うのは大変に難しいようです。
ヴァーシティはヴァーシティ同士で試合があり、皆楽しんでいたようです。娘は背も低いし、体力的にも無理、それでもヴァーシティの選手の一員として頑張っていました。 大学に行く時には、ホッケー・スティックも持参して、暇な時には同行の士と遊んでいたようです。
息子の方は入りたい野球には入れず、かといえ水泳の方は対抗試合に力を入れるチームが優先。入れたとは思うのですが、練習量が多く、人と競争するのが嫌いな息子はあっさりと諦めて、へたくそ同士が集まった二軍のバスケット・ボールでお茶を濁していたようです。 勿論これもチームが優先で、プールにしてもコートにしても、正チームの練習時間を外さなければなりません。体育の時間というのは何の為にあるのでしょうか。

 教師
公立学校の先生の顔ぶれは、毎年殆ど変わりません。学区に依っては良い先生を雇う為に、その地域内としては悪くない給料を出しています。この村の場合ですと、数年働いて5万ドル位になると言っていました。
先生や教授にはテニュアー制度というのがあり、何年間か働けば、よっぽどのヘマをしない限り首にはなりません。 学区で雇われているのですから、学区内での移動はあったとしても他市町村への転校はありません。
20年働くと平均以上の年金が貰えます。ですから一度採用されてしまえば、毎年同じ事を繰り返し教えるだけ、教育の熱意などまるで失ってしまい、只定年になる迄しがみついている先生方も結構多いのです。
父兄からやめさせろ、と注文が出ても、それはその教師のやり方であるし、都合の悪い事をしているのではないのだから、とそれでお終い。 本当のマンネリ教師に当ると、その科目への学習意欲が無くなってしまう、とこぼす生徒もいます。
夏休みが2ヶ月。 冬休みと春休みで1ヶ月。その間も給料が出ますから、時間的には割が良い仕事と言えましょう。 教育熱心な人は勉強しますし、金が欲しい人はせっせとアルバイトです。商売っ気のある人は、20年満期でやめ、年金収得資格を取り、取り敢えず受給申請はせず他の仕事をしたりします。
年金は勿論勤続年数が増えれば、その分以上増えますから、勤め続ける人が多く、時折弊害が出てきます。 この村でも殆ど辞める教師がいなく、平均年齢がドンドン上がってきたようです。 時には新しい血を入れる事も必要なのですが。
それに伴って起きるのが教師の同時退職。ここから北の方にある村では、この一,二年の間に教師の 1/3 以上が退職していくとの事。この村は郡の中で4番目位でしたが 1/4 位が辞めて行くようです。
この郡の状態は、全米での平均にはなりませんが、先生不足はニュー・ヨーク州では問題になってきています。 
カリフォルニアとか南部の移民が増えている州では、爆発的に新入生の数が増え出し大問題。 全米でも圧倒的に足りなくなる傾向なのです。 その上、教師という仕事に魅力があると感じる生徒の数も減っているようです。
ニュー・ヨーク市の近辺では今迄新しい先生の就職は断ってきたのですから、どの程度の数の先生が集まるのか、どの程度の質になるのか見物です。
先生の質を良くする為 (私には先生になりたい人を減らす為とも取れるのですが) ニュー・ヨーク州では最近、マスターを終了しなければ資格を取れない、と条件を変えました。
ニュー・ヨーク市では取っていない人には期限を決め、その間にマスター・コースを習得できない場合は教師の資格に満たないとして辞めて貰うし、コース中に脱落した場合、奨学金の返済を要求すると言い出しました。本当にやるのだろうか、と興味津々でしたが、何十人か最近首になったようです。
その逆に、先生になろうという若い人が少ないからと、1998年にはオーストリアで 50人程の数学の先生を2年契約で募集してきました。オーストリアから見れば就職難での中、高給という事になるようですが、物価の高いニュー・ヨーク市では、住む所を与えたり、所得税の優遇でもしない限り、仕送りはおろか、貯金もできないでしょうね。
なお初任給は2万5000ドル程度との事でアメリカ国籍の教師の給料よりは低い筈です。この試みは何年か前にスペインでも、教育資格保有者を対象として行なわれています。
夏休みといえば、何処かの州では冬、春休みを長くし、夏休みを短くしようという運動が起きています。 2ヶ月というのは確かに長い。 日本と違い、夏休みを境に学年が変わるので、区切りとしては良いのですが、宿題がある訳でもなく、子供達が遊び過ぎて前学年にやった事を忘れてしまい、やり直さなければならない、これもアメリカの学力低下の理由の一つなのだと言っています。 前学期の復習はともかく、前学年の復習になってしまうのですから、それだけ時間をロスしているのです。

 カソリック校
この村のパロキアル・スクールの名前はトランスフィギユレーション・スクール。幼稚園から8年生迄あり、200人ちょっとの生徒がいるようです。カソリック・スクールといっても特に宗教に熱心な親の為にある訳ではありません。 躾が厳しく、良い環境と成績を狙いたいが、私立の学校は高すぎるという親が多いようです。
或る程度の授業料は払わなければなりませんが、払えない家庭は授業料免除になります。 制服を採用している学校も多く、すぐにパロキアル・スクールの生徒と判ります。
制服といえば、ニュー・ヨーク市を含め他の市町村でも導入する学区が1998年から出てきました。 日本とは逆の流れですが。 服装が派手に成り過ぎ、その為に事故を起こしたり、巻き込まれる子供が増えてきたからです。 校外でも目立ちますから、悪い事もそんなに出来ない。 子供達の間でも格好を気にしなくて良くなったし、仲間意識のようなものができて安心できる、と結構好評のようです。
どこのカソリック・スクールも同じようですが、先生の殆どは尼僧。 知人は50年代にマンハッタンのカソリック・スクールに通っていたそうですが、大変に厳しかったと言ってました。悪い事をするとすぐ立たされたり、板でお尻を叩かれたそうです。 もっとも我々も立たされましたし、チョークも飛んで来ました。
授業内容は私立校と同じく、かなり片寄るようです。 しかし人数が少ないので、授業によっては一対一に近い教育をされたとの事。 知人はペン習字を徹底的にやらされたとか。 その為か単語のヴォキャブラリーは大したもので、あの難しいニューヨーク・タイムスのクロス・ワード・パズルに毎日取り組んでいました。
こちらの学校では、日本と違い書き方は自由。 私が小学生の頃は、姿勢が悪いと30cmの物差しをおでこの下に差し込まれたものです。 ペンの持ち方から、姿勢、紙の置き方まで全て自由。 
左利きも多いですし、紙を横向きに置いて、上から下に縦に横文字を書いている人も結構います。 インクで手が汚れる事はありませんが、字の角度が九十度違うのです。これも左利きの人に多いのです。
低学年では日本のように点々をなぞって書く事もしますが、書き方自体にうるさくはないようです。 字を書く事自体に努力するより、内容の方に集中しろ、と言う事かもしれません。 一般的に手書きは読み難く、汚いのが多くて、何で公立の学校はもっと書く事に時間をかけないのかと腹立つ事も間々あります。 
私の字もきれいではありませんが、最低限、英語、日本語共、誰が見ても読めます。
仕事柄手書きのメッセージを方々から受け取りますが、丸で解読出来ないのが頻繁にあります。 日本の草書体のように字が上手過ぎて読めないのではなく、子供が書きなぐったような字で、文法迄おかしい。 こんなのを受け取った時には、どんな奴か顔を見たくなります。

 高校、大学
ここのハイ・スクール、スリーピー・ホロー・ハイは生徒数、学力から見て極々普通の高校。 アイヴィー・リーグには毎年一人入学するかしないかの程度。
郡内では矢張り平均収入が高いスカースデールやアーヴィントンの高校の方が学力的に高く、日本人家族も多いのです。
途中から進学課程と就職課程に選択させられますが、進学といっても詰め込み教育をやっている訳ではなく、今迄の教育をそのまま続けていると言って良いでしょう。
大学に行くといっても、年何回か行われる全国制の偏差値テストを参考にし、テスト機関で行われる2回の学力テスト、内申書、作文で決まりますから、日本よりはずっとノンビリしています。
合格基準は、各々の高校から過去に入学してきた生徒の成績を参考にしているようで、何校からも同じような成績の生徒が入学申請をしてきた場合、入学実績がないと入るのは難しいようです。
娘の場合、ペンシルヴァニア州の大学にも申請したのですが、今迄この村から入学した生徒は皆無に近く、他の同程度の大学では入学許可が出ても、この大学では補欠、空き待ちとなりました。
昔は受けてもせいぜい二,三校のようでしたが、どうしても大学位には入って貰いたい、という親が増えたせいか申請する大学の数が増え、今では十校以上に書類を出す生徒もザラにいるとか。入学試験というものがありませんから、このような事も可能なのです。
逆に有名でない大学では、合格者の数をかなり多くしておかないと、入学者の定員割れが起こり、頭が痛いようです。大学の参観日を決め、この説明会に出席するか、しないかを参考にする学校もあるとか。大学を見に行くのも親にとっては一寸した出費、遠い所では飛行機利用で宿泊も考えなければなりませんし、近くても一日が潰れます。何校にも申請されたら・・・・
親にとって頭が痛いのは、奨学金の事。 奨学金の算定をする会社があります。数ページの書類を空欄虫食い式で埋めていくのですが、使用するのは2Bの鉛筆と決められ、ボール・ペンで記入し書類を送り返される親も相当あるとか。
この時に一年前の税金確定申告書のコピーを用意し、扶養家族何人、収入各々幾ら、貯金額、株や債権の価値、家を持っていれば、家の価値、銀行のローンの残高、所有する車の種類、そのローンの残高迄、かなり細かい事を答えなければなりません。
最後に申請書を郵送した大学の名前を書き込み、手数料を同封して郵送します。何週間後かにコンピューターのプリント・アウトが送られて来、間違いが無ければ、このコピーが各大学に送られますが、ここで終わったのではありません。
大学からの合格通知には、奨学金申請用紙が同封されており、又、同じような事を繰り返します。 勿論大学によって書き込む事は少々異なっています。
これを終わらせ、確定申告のコピーと一緒に大学に送るわけです。 ですから奨学金、学生ローンを貰う資格がある親でも、収入、財産を公開したくない親は申請しません。
既に大学に在学している子供が居る場合、平均収入辺りですと、二番目の子供は何らかの援助が半額迄出たりします。私の場合、娘と息子の間は 5歳、恩恵にはあやかれませんでした(もっとも、息子の私立高校の方は考慮してくれ、授業料約半分になりました)。
大学によってはアーリー・デシジョンという制度があります。
この場合一つの大学にしか申請書は送れませんが、12月中には合否の返事が来てしまいます。余程成績が良くて自信がないと出来ません。
これに受かってしまえば、後は遊んでも、という所ですが、大学によっては追跡調査をするとか。
州立、市立大学は締め切りも合格発表も遅く、滑り止めとして申請する生徒も多いようで、合格者の数は相当なものになります。 本人が 入学するかどうかは大学の格だけでなく、奨学金の額によっても左右されるようです。
就職課程の方では、タイピングだとか、卒業後に速戦力となる事を教えています。設備もかなり揃っておりますが、この郡にはBOCEという制度があり、自動車の板金とか、卒業後実戦に使えるようなトレーニングを特定の希望者にさせます。 校外授業ですから足のない生徒にはバスが運行されます。 こちらの方は私の知識も乏しく、この辺にしておきます。

 私立校
さて、この村で誇れる私立の学校名はハックリー・スクール。 歴史は古く、創立は1897年。
オールド・イングリッシュ・スタイルの校舎は古臭くても、何かほっとさせてくれる雰囲気。 エール大学の建物もイギリスの古い大学に習っています。
男女共学で、幼稚園から12年生迄の通学制と、7年から12年迄の平日寮制とからなっています。
ウエストチェスター郡に日本からの駐在員として住まわれ、受験期の子供を持った家庭では、知られた存在でしょう。というのは、子供がどうしても日本の学校に戻りたくない、又は戻れない生徒の為に、平日のみだとしても寮生活をさせてくれるからです。日本人を含め、かなりの外国籍の親の子供が在籍しています。
寮生活をしているのは約50人。先生の方も夫婦を含め、何人か校内のアパートに住んでいますから、環境としては悪くありません。
先生に住居を与えるという事は私立校では結構あるようです。 何故ならば、私立は教員資格が無くても教える事ができるので、給料、年金等が公立と比べるとかなり悪いからです。 
資格があっても、自分の希望地、希望校で採用が無い時の時間かせぎとか、論文を書く為の時間が欲しい、公立より自由が欲しい、という人等も多いのです。 
ですから日本でいう社宅があれば、少ない給料でも十分に補う事ができます。 又、有名私立校でしたらハクもつきます。勿論長く続いている優秀な有名先生もいます。
最近やめた方で仇名が白鯨先生。 メルヴィルの「白鯨」を毎年同じ名調子で教え続けた事で有名になった英語教師です。 最初は子供達のイタズラから始まったのでしょうが、毎年行われる白鯨祭りは校外に迄繰り出される程盛大になりました。ハリボテの鯨を作ったり、ジョークで固まった詩や文章を朗読したり、劇を作ったり、各人好き勝手な事をしています。
授業で力を入れているのは、英語と歴史のようです。 見ていると歴史はやはりギリシヤとかローマ史を徹底してやっており、何時になっても現代に到達しないのは我々も同じでした。 その上英語でもホーマーやシェークスピア等の古典をびっしりやらされているようで、この辺は英語でも歴史を重複してるのではないかと思われます。
作文には相当の比重がかかり、一般的に私立校からの卒業生はレーポートに強いという通説です。私も東京の名門校といわれる中学、高校一貫の学校に通っていましたが、漢文、古文はびっしりやらされましたし、英作文には比重がかかっていました。
倫理の時間等というのもあり、哲学の端くれを習った記憶があります。洋の東西を問わず私立の学校の教育方針は同じようなものだな、と感じました。私の息子も、ここで高校四年間(5・3・4)世話になりましたが、結構有名な大学に在学していた娘が時々電話で文章上の質問をしてくる程。
ラテン語も私立には伝統的に良い先生がいるようですが、娘や息子の世代では、まるで人気がありませんでした。 両人共、公立、私立の違いはありますが、ラテン語を第二外国語として取っており、クラスは何時も数人。 生徒が少なすぎて、先生が可哀相だとコボしていました。
私達は、日本人二世になるかもしれない二人に徹底的に英語を学んで欲しい為にラテン語を取るように薦めたのです。 ヨーロッパ言語の元祖、死んだ言語と迄言われていたラテン語でしたが、二人共勉強の上で大変にタメになったと言っていました。 最近は大学進学時に有利という理由でラテン語を取る高校生が増えているとか。
二人共ラテン語は性に合っていたのかガリガリやり、高校在学中にAP(アドヴァーンスド・プレースメント)コースを取り、大学一年生の分迄終わらせてしまいました。このAPコース、全てがAPですと飛び級という事になってしまいますが、誰でもその科目に秀でていれば取れます。
又、APコースの成績がかなり良ければ相当の大学でも単位として認めてくれます(平均的な大学でしたら、まず何処の高校のAPでもパスさえしていれば認めてくれるでしょう)。
日本でも一年飛ばすという事でなく、単位の先取りを中学校位から少しづつ認めたらと思います。 娘の方はAPの単位の先取りと、大学在学時に割増し金を取られない範囲で取れるだけのコースを取り、三年半で卒業してしまいました。 その分授業料の節約をしたのです。
このAPコース、その高校に適当な先生がいなく、近所に大学がある場合、その大学のコースに生徒を送ってくれる学区もあります。

 大学
河の向こうからでも良く見える、丘のテッペンの大きな金色ドーム屋根。これがメリー・マウント・カレッジ・タレイタウンの象徴ともいえるバトラー・ホールです。
駿河台にあるドームより二回り程大きな気がします。ドームの下はラウンジになっているそうですが、この建物の中には、学長の部屋、種々の事務所、学生寮の一部、それにお決まりの礼拝堂があるとの事。
1907年に創立されたカソリックの女子専門大学。全米に残っている女子専門大学八十校の一つ。
男女平等という事から、政府の援助を受ける限り教育は男女共学となりました。
軍事教練的な事まで教科にある男子専門校が抵抗も空しく共学となり、今や男子専門校というのは存在しないと思うのですが、不思議な事に女子学校の方は残っているのです。
アイヴィー・シスターズと呼ばれる名門女子大学も男子に開放されました。 ここから車で一時間程北にあるその一校、名門のヴァッサーは共学になってからは、どうも冴えないようです。
カレッジというのはグラジュエート・スクールのない大学、小さな大学を示し、総合大学がユニヴァーシティとなります。 ここも小さな大学で、勉強校として有名な大学ではなく、どちらか言うと金を持っている中流家庭からその上のお嬢さん学校。 
車の必要性も無いのに相当数の生徒が結構高価な車を乗り回しています。てな訳で出身高校はニュー・ジャーシー、コネティカット州を含むこの近辺が多いのです。又、東京の某学園とも手を結び、何十人かの日本人女子生徒も短期間勉強をしています。
メリー・マウント・カレッジはマンハッタンにもありますし、日本人が殺されたというニュースで、カリフォルニア州にもある事を知りました。 直接の関係はないと思いますが。
近所にあるのに見学にも行ってません。キャンパスの入り口に守衛がいて睨みをきかせているせいもあるのです。 それでも生徒のいない夏には貧乏旅行の学生や研究者達に寮を安く開放しています。

 奨学金
こちらの高校の卒業時に必ず話題になるのは奨学金でしょう。 成績順位が判らなくても、どんな奨学金を貰ったかである程度の見当はつきます。
この奨学金の授与だけでも結構時間がかかります。 スリーピー・ハイでは卒業式の前日に前夜祭をかねて授賞式が行われますが,大学を目指す生徒の殆どの両親が出席していると言っても過言ではないでしょう。
少ない所では何十ドルかで始まり、これは個人、又は故人の作った基金からのもの。 額が百ドル、二百ドルと増え、これらは団体とかが主。 千ドルを越すともうこれらは企業からのものです。
こちらの高校には日本の文化祭ともいえる 科、化学展示会がありますが、この時にタレイタウンでは企業やウエスト・ポイントからも見学に来て、様々な賞を出します。
この手で有名なのはウエスティングハウス賞でしょう。全米の高校生からアイデアを募り最高者には5万ドルの奨学金が出ますし、この賞のどれか一つを取れば全米何処の大学でも授業料免除位で勧誘に来るでしょう。
とは言え入賞者の提出課題の殆どは大学のレベルも超えているものが多く、アメリカの科学、物理学、化学等の層の厚さを思い知らされます。入賞者の名前はメディアに載り、授賞式の有様はTVでも流されます。
ニュー・ヨーク地域からも毎年何人かの入賞者を出しており、その殆どは専門的な高校から。 それらへの入学はかなり難しいとされています(ニュー・ヨーク市では科学とかアート、ダンスなどの幾つかの専門的な高校があり、この場合は学区を越えて入学が出来る)。
最近の受賞者は東洋系、特に中国系の名前が増えており、インドと並び優秀な人材のアメリカ流入は相変わらず続いているようです。
さてタレイタウンでの最高奨学金はヒタチ・アワード。 毎年1万ドルで、4年間で4万ドルですから全米屈指のウエスティングハウス賞にも劣りません。 一つの賞でこれだけの額を出す賞も珍しいのでしょう、他の学区の生徒からうらやましがられています。
確率からいうとウエスティングハウス賞より断然分が良いですね。 同じ額をもっと多人数に分散して欲しかったのですが。 貰える資格は科学、又は医学上の研究を目指す生徒。 最初の年は中国系の女生徒でした。二年目は白人の女の子。現在も遺伝子か何かの研究をしており博士号を目指しているようです。
これらの奨学金は入学する大学にも連絡が行っており、口上では勉学の為なら何にでも使っても良いとなっていますが、授業料援助申請の書類を出す時には、もう授業料から差し引かれてあり、使ってしまうと、えらい事になってしまいます。
参考迄に書きますと、授業料援助は全てファイナンシャル・エイドと呼ばれ、この中には、純粋の返済不要の奨学金、学生が卒業後返済するステューデント・ローン、親が返済の義務を負うペアレント・ローンに分かれます。
大学は公立を含め、殆どの学生が親を離れて生活を始める訳ですから大変に金がかかります。
公立で1万から2万、アイヴィー・リーグですと年3万ドル以上になるでしょう (もっともこれは寮とか食券が含まれている金額です)。 ですから7割程度の学生が何らかの援助を受けているとの事。
大学の方で欲しい学生がいれば授業料全額免除迄して入学させます。 スポーツ選手等はそうですし、知人の日本人の二世お嬢さんは大変に優秀で、ミズリー州の某大学に授業料免除、小遣い付きで呼ばれました。この大学今や有名校の一つとなっていますが、当時はもう一つという所、優秀な生徒、特に東洋系で女子の学生を入学させれば人種無差別の見本にもなるというもの。スポーツ選手もそうですが、政治的な配慮もあるのです。
ステューデント・ローンの場合は、政府が保証し、銀行から低金利で金を出させます。
厳密にはこれにも二種類あります。 ペアレンツ・ローンも一般のローンよりは、利子を低く押さえてあります。 返却期間は卒業半年後から始まり、10年の間。
日本とは違い、かなり金持ちの家庭でも、大学に入れば本人の責任。 親の負担分は親が払うなり、ローンを組んだりし、残りはステューデント・ローンを取らせて卒業後自分の責任で払わせる親が多いようです。 
授業料の説明、請求にしても学生の名前で来ますし、ローンの申し込み用紙も、学生本人の収入とか財産を示す項目が親よりも先になっています。 ですから回りを見回すと学生時代のローンの支払いでキュウキュウな人が結構います。
マスター・コース等を取れば又借金が増えるというもの、40近く迄学生ローンの返却に追われる事になります。悪質な未返納者の場合、本人の意思とは別に給料から差し引くという措置も取ります。
返却不能者や蒸発者が昔より増え、政府も頭が痛いようです。

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