312_Tarrytown






















































1984年 ハートフォードにあるマーク・トゥエインの家




















この陸橋からボート乗り場に出たのでしょう


電車から見えるサニー・サイド



















































 プロウ中
















2005年











































下2枚 1988年 グラウンド・ホッグ













 ラクーン


 木登りも得意

































































































































































1983年 数 m先だったのではっきりとは判らないでしょうが スカンク
黒と白です




















これはニュー・メキシコの野ウサギ。 タレイタウンのウサギはもっとウサギ、ウサギしていたと思います。





























































































































































































  カナディアン・ギース
   民間会社の敷地

 


2007年 庭に来た七面鳥
判りますか?





  タレイタウンのどうでもよい話
この村に引越してから二、三年経ってから気が付いた事があります。
結婚をしていない年寄りが多かったという事です。 伴侶に先立たれて寡暮らしをしているというのではなく、全くの未婚です。 女性の方が多かったようですが。

すぐ近所には二階建ての一軒家を持つ二人の姉妹がいました。 もう二人共かなりの年のようで余り外にも出ず、どんな住人か気が付いたのはしばらく経ってからでした。 住んでいた家の前のアパートにも独身老人が何人かいましたし、よく子供と遊んでいたおじさん(というより、彼も60近かった筈ですが)は家を持っていて独身。
なんで結婚しなかったのか、と一度尋ねた事があります。
「イヤー、もててね、女の子は選り取り見取りだったからね」とジョーク。
  まあ服装のセンスは別としても(大きな格子模様のズボンをよくはいていました)何時もシワのない服で小奇麗にしていましたから、或る程度は本当なのでしょう。

タレイタウンに永い住人に聞いてみた所、「そう言えば独身の人が多いわね。 単に婚期を逃しただけじゃない」 とあっさりした答え。 二人の姉妹も美人だったようですが、何故だかよく判りません。 親からの遺産(家)を乗っ取られるのがイヤだからと言う人もいます。 この姉妹、一人が亡くなり、二人目も半年位で後を追ってしまいましたが、二人目の時は何日間か誰も気が付かなかったようです。

家は管財人により清算された後で(アメリカでは相続税は亡くなった人の遺産から徴収されます)教会に寄付され、手入れがなされた後、売りに出されました。
二年程前には私達も良く知っている女性が亡くなっています。 コロンビア大学卒の知識と行動のお婆さん。 私の家族はスクエア・ダンスとかに誘われていました。 この方が亡くなった時も、数日間誰として気が付かなかったようです。

この何年かの間に老人に対する色々なサービスが出てきました。 ヴォランティア団体で週何回か電話をかけて元気なのを確認、話相手になるとか、ペンダント大の無線機でボタンを押すと警備会社のような機関が救急車を送ってくれるとかです。

こちらでは家の中で死んでしまえばそのままですが、一度病院に入院してしまうと、良くなって戻れるか、死んでそのまま斎場に送られるかのどちらかです。
家で死んでも通夜と葬式は葬式場。 自分の家で大往生というのも少々難しいようです。

最近は独身の年寄りの話は聞きません。 亡くなってしまったのか、値段が上がった家を売り養老院にでも入ってしまったのでしょう。

もう一つ不思議な事は、ニュー・ヨーク市からたったの 50km 程の距離なのに、マンハッタンに出た事の無い人が結構いたという事です。
老人が多かったのですが、最初の大家さんの娘もそうでした。
何で行かないのか、と聞くと、あっさり 「行く必要もないから」 その一語です。
更に聞いても 「危ないし、騒々しい。自分の生活と関係無い」 というような返事が返ってくるだけでした。

他人が何を言おうと自分の生活は自分の生活、とはっきり割り切ったアメリカの考えですね。今はもう世代交代がかなり進んで、マンハッタンに一度も出た事が無いという人は居そうもありませんが。

私の家から 丘を2軒上に行くと、タッパン・ヒル・レストランというのがあります。
この辺では有名で、予約が必要。 パーティー等に使う人が多かったようですが、現在は個人での予約は受け付けず、結婚式のパーティーとか、会合等のまとまった数の客しか取らないようです。

何故有名かというと、「 トム・ソーヤーの冒険 」 のマーク・トゥエインが住んでいたからです。 とは云え、1902年に買って、1904年にはもう売り払っています。

彼は引越し魔でして、あちらこちらに 「マーク・トゥエインの住んでいた家」 というのがあります。
コネチカット州ハートフォード市の邸宅は有名で、こちらは居住期間が長かった為か、博物館として内部がそのままに保存してあり見学ができます。 内装や家具は贅沢で、さすが著名な作家の住居という感があります。

タレイタウンの家も大きく、入り口から玄関迄は少々距離があり、曲った上り坂なのと木が多い為、道路からは建物さえ見えません。 家というよりは豪邸。 石造りだったような記憶があります。

現在のダイニング・ホール( 昔は超特大のリヴィング・ルームだったのでしょう )のガラス戸を開け庭に出ると景色が抜群。 ロックフェラーの敷地には足許にも及びませんが、ハドソン河が目前、左から右に広がります。
夏はテント状に、特大のひさしを出していますので、この日陰に腰を据え飲み物を、というのも気分いいですね。

トゥエインの最終居住地はニュー・ヨーク市ブロンクス区のリバーデール。  ここから車で20分程。
1970年代には日本人も多かったのですが、その辺のアパート群が徐々に分譲されるようになり、日本からの駐在員の数は減っていきました。
ケネディ兄弟の学んだ寮制の名門私立高校がある事でも有名。

その他、日本でも有名で、タレイタウンに住んでいた人物としては、ペリー提督がいます。 その他に銅山会社やビール会社の社長等が住んでいました。

タレイタウンを南に下がり、次の村アーヴィントンに近い所には、国の歴史的記念建築物の一つに指定されているリンドハーストがあります。
1938年に議員のウイリアム・ポールディングが建築させたゴシック調の小さな城のような建物。
オーナーは何人か代わりましたが、有名なのは鉄道泥棒男爵の一人として名を馳せたジェイ・ゴールドでしょう。
英語だと Railroad Robber Baron 。 鉄道資産を汚いやり方で売り買いしてボロ設けをしたので、この名称が冠されました。 彼はマンハッタン迄自家用ヨットで通っていたそうです。

巨大なグリーン・ハウスの骨組みが残っていますが、何と長さは120m。今では毎年夏に敷地の中で野外音楽会や花火大会が催されます。

それからもう少し下がるとアメリカ最初の小説家といわれるワシントン・アーヴィングの住んだ家 「サニー・サイド」 があります。 

昔の郊外の家の特徴である低い屋根の可愛らしい家です。 昔の家は、建てるのに楽なのと、暖房の効率を良くする為か、屋根の低い造りが多いのです。
この様な家の場合、炊事と暖房を兼ねた大きな暖炉 (というより昔のカマドをそのまま天井迄届く程に大きくしたものと書いた方がより正確でしょう)、が家の真ん中にあり、その裏側にベッド・ルームがあったりします。
土地は広く様々な花が咲き乱れます。

アーヴィングは1783年にニュー・ヨーク市で生まれていますが、1859年にこの家で亡くなりました。

当時のアメリカは文化面ではまだヨーロッパに遥かに遅れていましたから、彼もパッとせずに渡欧、彼の作品はヨーロッパで先に有名になっています。
1835年にこの家を購入、自分の好みで、童話に出て来るような家に改造し 「サニー・サイド」 と命名し、著名人が集まってはサロンのようになっていたそうです。

彼の死後は身寄りが保守をしていましたが、資金が尽き、ジョン・ディー・ロックフェラーが購入、後程保存団体に寄付されています。
隣り町のアーヴィントンの名は彼の名前から取ったものです。

彼が書いた有名な話に  「 Rip van Winkle 」と 「 The Legend of Sleepy Hollow 」(眠くなる窪地の話)というのがあります。 最初のはアメリカ版浦島太郎の話、男が酒を飲まされ、酔っ払って目が覚めたら 20年経っていたという話です。

二番目の話の中で最も有名なのが 「ヘッドレス・ホースマン (首なしの騎手)」、ハローウイーンとは切っても切れない縁となっています。 毎年ハローウイーンになれば、首無しホースマン、首無しホースマンといえばスリーピー・ホローでタレイタウンとなります。

タレイタウンを知らなくても 「首なしホースマン」の題材になった所だよ、と言うと、小学校の教科書に出てきたせいか、誰にでもピンと来るようです。 
隣りの村は改名してとうとうスリーピー・ホローそのもの。 タレイタウンの名も薄れそうですね。 もっとも皮肉な事にこれらの話は彼がヨーロッパに居た時に書かれたものです。

その南、もうアーヴィントンとの境界になると思いますが、世界統一教会、我々の世代には原理教といった方がピンとくるのですが、それの本部があります。
税制上、宗教団体から外された筈で、固定資産税位は村に払ってくれてるのだろうか、位のイメージしかありません。 線路側から見ると広大な敷地のようです。 活動家何人かが、敷地内ではなく、その近辺に住み始めたようですが、タレイタウンの住人は別に気にもとめていないようですし、新しい居住者には知らない人も多いのです。

建築物ではありませんが、目には見えない変わった物があります。
タッパンジー・ブリッジの手前の河岸に小さな標識が立っています。
これは水底電話線のスタート標示で、これを読むと、この電話線は1913年に完成した当時、川底に敷設された最長電話ケーブルだったとあります。 橋にしても、この電線にしても何故一番川幅が広い所を選んだんでしょうね。

冬になると、先っぽに小さな赤い鉄板が付いた長さ1m程の鉄棒が消火栓の頭に取り付けられます。
北海道の人には馴染みかと思われますが、これは雪が降った時の為の目印、もっとも、雪がこんなに積もるというのではなく、除雪車が跳ね上げて行く雪で、消火栓が埋もれて見えなくなってしまう事があるからです。

それから、方々の交差点にドラム缶が置かれます。最初は何かと思ったのですが、これは砂。 車がスリップして動けない時等にまく為です。
しょっちゅう除雪してますから、こんなに必要はないだろうと思っていましたが、場所と年によっては、冬が終わる前に砂を足しているようです。

公道だけでなく、近所の人が取り出して、自分の敷地内のドライヴ・ウェイ(公道から自分の敷地内のガレージや玄関迄の道)にも使っています。
私も或る日、ドライヴ・ウエイが早朝の雪で凍り、車が出せなくなり、50m程歩いて砂を持って来た事があります。

車で走っていると時々、「RAISE  PLOW」と書いたサインに出くわします。
これは除雪車に対しての警告で、障害物があるからスノー・プローを上げろ、という意味、雪が降り出し、相当な降雪が見込まれる時には散塩車が出動。

もっともダンプ・カーとかゴミ回収車に塩を撒き散らす筒をつけたもの。
運動会の時に白線を引く機械がありますね。あの理屈です。
塩はかなり大きなツブで、このトラックとは距離を開けて走らないと、バリバリ窓に跳ね飛んで来ます。
昼間は交通量がありますので、この程度でも大丈夫。 夜になると降雪量に合わせ、今度はプローを付けたトラックが出動。 もっとも散塩車の前には必ずプローが付いているので、同じ車で二役。 
降雪がひどくない時は、止みそうな時に塩をまきながら雪かき一回。 降り続ける時には夜中でも何回か回り除雪をしています。
困るのはザーッと両側をかいて行きますので、かき寄せられた雪でドライヴ・ウエーの入り口に雪堤が出来てしまう事です。 週末など、遅く起きると凍り付いて雪かきが大変です。
しばらく降雪量が多くなかったので、ニュー・ヨーク市の近辺の市町村では、塩の購入や清掃局の超過勤務手当て予算を減らしていたのですが、1997年の冬は久し振りに雪の当たり年。 各市町村は除雪予算を新年の前に使い果たし頭を抱え込んでいました。
寒さは北海道並みで東京と比べるのは酷ですが、東京でもプローだけでも何台かに一個の割で用意しておけば、と思います。 東京で10 cm の降雪が週三回もあったら麻痺状態になってしまうのではないでしょうか。
車のチェーンの事では、ひどい雪の時でも日本のように乗用車に対し装着という指示は出ませんし、買うのにも相当捜さなければなりません。 しかし、バスとかゴミ回収車等の公共用、救急用車は必ず装着します。 トラックは重量により勧告が出るようです。 又、スパイク・タイヤは道路が傷む為にニュー・ヨーク州では禁止されています。
ひどくなると、さすがに渋滞。 45Km程の距離で普段は 40分で帰れるのに 3時間かかって帰宅した事もありました。 もっとも雪で仕事に行けなくなったのは 8年車通勤した間に 3回位でしょうか。
雪が降り出すと郊外の家庭は大変です。 殆どのガレージは家と同じ並びになっており、道路からは芝生の前庭で隔てられています。 1930年代以前の家ですとガレージが無かったり、家の裏の方に別棟になっていたりします。 
主な道路は、除雪車の運行と緊急用車両の為に駐車禁止になります。 マンハッタン等ではパーキング場に入れられず、路上に放置されて、積み上げられた雪に埋まってしまい、そのまま凍り付いて何日も放ったらかし、というのも良く見掛けます。
この辺では自動車は必要不可欠なので、路上駐車しなければならない人は懸命に掘り出します。 
車がガレージに入っている家庭でも、朝の出勤時と夕方の帰宅時前に雪が積もれば、まず雪かき。
子供の居る家庭では子供の仕事ですが、子供が成長して出て行った家庭では、近所の子に10ドル位払ってやって貰うか、プローを付けたジープ等の四輪駆動車を持っている商売人と契約します。 私達の家庭も子供達は出て行き、夫婦でせっせと雪かきです。 粉雪の時は兎も角、ベタ雪の時は重く、重労働となり、急激な運動で心臓麻痺を起こし、亡くなる老人が毎冬何人もいます。

  タレイタウンにいる動物達
改めてタレイタウンの動物達等と書くと何かよっぽど変わった動物でも、と思われるかもしれません。種類としては大した事もないのですが、住宅地なのに、という事で驚かれるでしょう。
一番最初にお目にかかった動物はリス。 これはニュー・ヨークの市内にもいるので驚きません。 小さな公園でも木が多ければ必ずといって良い程いますね。
マンハッタンに居た頃は珍しくて、パン屑を持って追っかけ回したものです。 春の初めには餌が少ないのか、側迄やってきて餌をねだります。  娘がまだ二歳にもならない頃、ブルックリンの公園で指先をかじられそうになりました。 手渡し出来る程、側にくるのです。
この村では、巣から落ちたのか、息子が家の外壁下にリスの赤ちゃんを見つけました。見回しても親も巣も見つからず、タオルにくるんでミルクを与え、一時的に元気になったようですが、夕方に突然死んでしまったようです。
次はラクーン、日本では洗い熊。 この村に引越しをした頃、家族三人で散歩をしていますと道路を横切って排水溝の入口に飛び込んだ動物がいます。 何だ、と駆けつけましたが、見える筈はありません。 尻尾の縞からラクーンだろうという事になりました。 見た所は丘の上の方。 家が並んでいても車や人の往来がないから、たまたまラッキーに見れたのだろう、とその時は思っていたのです。
その次がモグラ。 借りていた家の庭にモコモコと土が帯状に盛り上がります。 モコモコは右に左に交差して、所々に小さな穴の開いた噴火山状の小山。 モグラです。
芝生を荒らすので、どうしたものかと考えていますと、大家さんの猫がいとも簡単に解決してくれました。 この猫、厳冬時以外は表に住んでいて夏の間は餌を食べにくるだけ。 それでも大家さんと我々をはっきりと認識していました。 この猫、大変敏捷でよく鳥を捕まえるのです。
或る日、見ていますと地面に這いつくばってジーッとしています。何をしているのかと先を窺うとハトが歩いていたのですが、あっという間も無くジャンプしたかと思うと、50cm位飛び上がった鳥に飛びつき、空中で鳥を捕まえてしまったのです。
妻に言わせるとしょっちゅうとの事。 それも食べるのではなく、庭仕事をしている所に捕まえた獲物を咥えて来、ポッとそこに死骸を置くと自慢そうに顔を見上げ、スタスタどこかに行ってしまうらしいのです。誉めて貰いたいのでしょうか。
成功率は5割以上だとか。 或る日モグラを持って来た時にはさすがにドッキリしたようです。 結局庭の隅に穴を掘って埋めてやるのは妻の仕事。 
この猫、大家さんと一緒にコロラド迄引っ越して行きましたが、むこうでも相変わらずだったようです。 18歳迄生き抜き、最後は目もみえず、耳も聞こえず、歩く事も出来なくなり、とうとう獣医さんに眠らせて貰ったようです。 カソリックの人達ですから、余程考えてからの事。 それにしても 18 歳とは随分長生きしたものです。

私達が最初に借りた所はブロードウエイに面した一軒家の二階。 車の往来はありますし、人通りも結構あり、動物とは余り関係ない環境でした。
次に移ったのはタレイタウンズ・バンクの裏。 大きな母屋に付属している小さな二階建ての一軒家。 昔はバーン(飼料小屋)だったそうで、大工の大家さんが住めるように改装したのだとか。
このような家の事を不動産用語では、マザーズ・アンド・ドーターズとか呼んでいます。「スープの冷めない距離」 という諺がありますね。 娘が結婚して、同居は嫌だが近所に住んでくれたら、という奴です。
一階、二階で二世帯同居というのも地方に出ると結構ありますが、家を売買するの時に人気があるのはマザーズ・アンド・ドーターズです。 子供がまだ小さい時や、成長してから期待に反して子供が出て行ってしまった場合等に貸すと、二軒分位の固定資産税位出てしまうのです。
この家のベット・ルームは下の通り迄続くフューネラル・ホームの長い敷地に面していました。 上から下迄金網のフェンスがしてあるのですが、この家が敷地すれすれに建っているので、建物の部分には何もありません。 庭師が来て手入れされている敷地の眺めは自分の家の庭も同じ。 四季の花々を楽しんでいました。
或る日眺めていると、不思議な動物が見え隠れしています。 慌ててカメラを取り出し 400mm の望遠レンズをつけて覗いてみました。 草叢の中の土が盛り上がった所から体を乗り出している動物、ビーバーにも思えますが、こんな乾燥した所にいる筈はありません。 どうやら後足で完全に立ち上がれるようです。
キツネ色の毛皮、猫よりは一回り大きいようです。 見え隠れするのは、ヒョッ、ヒョッと後ろ足で立ち上がるからです。 リスのように手を前に合わせ、尻尾でバランスを取って伸び上がるように立ちます。 
後でわかったのは、これが俗称ウッドチャック、又はグラウンドホッグと呼ばれ、リス科の哺乳類。 1〜2mの長さの穴を掘り 9月から10月には冬眠に入ってしまいます。
2月の2日に穴から這い出し、その時に自分の影を見つけたら、その年の春が来るのは遅くなるという諺があります。 毎年どこそこの動物園のグラウンドホッグは、自分の影を見なかったから、春が早く来るとか遅くなるとか、報道が大騒ぎします。
この動物、この家では4年の間に二,三回見かけただけですが、今住んでいる家の庭にも巣食っています。 
最初に気が付いたのは斜面に開けられた大きな穴から。 最初は何の穴か判りませんでした。 ラクーンかもしれないし、それにしては大き過ぎる。 モグラにしては小さ過ぎる。 春も終わろうとする暖かい日、住人を見つけました。
グランド・ホッグです。 木を十本程切り倒し、薪にでもと並び上げた列の上で、伸び上がっては周りをキョロキョロ見回しています。 見た目は可愛いのですが、草木を荒らすのです。
次の休みに、土を放り込んで穴を塞いでみました。 横にも縦にも相当伸びているようで底無しの感。 ある程度で止めて様子をうかがいました。
次の日に見てみると、土は綺麗に掻き出されて穴は原形を保っています。 長いホースで水を注入してみました。 いくら入れても何処かに吸い込まれるだけで切りがありません。諦めました。
その後匂いのきつい猫のトイレの砂を投げ込んでみましたが、又々掻き出された砂の山を見るだけ。 これは妻が暫く続けていましたが、とうとう諦めてしまいました。
その後2年に1度位の割で見かけており、どうしている事やら、と思っていましたら、先日玄関のそばを歩いているのを見つけました。
尻尾以外はビーバーに似ています。 色はビーバーよりは明るいキツネ色。 私を見かけるとサッと草に隠れながら何処かに消えてしまいました。
早速花壇の斜面を見ると小さな横穴。 まだ掘り出したばかりの様子。 ここは困ります。 ホースを出して又水を流し込んでみました。今回はすぐに溢れ出します。 間に合ったようです。 土を集めるとドロンコ状にして穴に詰め込みました。 今でも穴は塞がったまま。 この動物は一匹づつ住むようで、何処かからか相手を捜しにでも来たのでしょうか。

ラクーンと猫の話が出たので、ここで、前住んでいた家にまつわる両方の動物の話を書きましょう。
まずラクーンと呼ぶのに私は何か違和感を感じますので、タヌキにしておきます。
日本名はアライ熊でも熊の親類ではなく、タヌキの親類ですから。 それにラクーンというと、ジョン・ウエインの演ずるデイヴィ・クロケットの尻尾の下がった毛皮帽が頭に浮かんで来るのです(まさにその通りなのですが)。 

タヌキ、郊外の住宅街では嫌われ者。 顔、形は可愛くても気は荒く、それに横幅がある分、見かけ以上に大きく力があります。 猫や中型の犬が縄張り争いで頑張ってみても逆に逃げ帰ってきます。
困るのは雑食性ですから人間の食物は大好き。 特に甘い味付けには堪えられないようです。 という訳でゴミ漁りの名人。 

ゴミの収集は週二回。 幸か不幸か道路から引っ込んだこの家でも、家の入り口の横にゴミのカンを置いておくとワザワザ取りに来てくれます(郊外ではアパートは別として、共同ゴミ集積所はありません)。 今では、軽い、潰れない、蓋がきっちり閉まる、取り扱い時にうるさくない、という理由で、プラスティックの容器を使っている家庭が殆どですが、10年前迄は、どの家庭でも 1m 位の高さのブリキ製のカンを使っていました。
ある朝ドアを開けるとゴミが散らかっています。 誰だ、と文句を言いながらも片付けました。 その晩、新しいゴミを詰め、蓋をきっちりと閉めておきました。 新しいカンなので蓋のかみ合わせが良かったのです。 翌朝は荒らされていません。
しかし蓋がゆるい日には又ゴミが。 ある晩ガタンという物の倒れる音で目が覚めました。 表に出てみますと、ゴミのカンが倒れてゴミが散らかっています。 見回しても何もいません。
翌晩は飛び起きてすぐ出れるように用意をしておきました。
夜中にガタゴト音がします。 忍び足でドア迄行き、取っ手と外の電灯のスイッチに手を掛け、オンにするのと同時にドアを勢いよく開けました。 

大きなタヌキが前足をカンの縁に乗せ、正に倒そうとしています。 一匹だけではありません。 三,四匹、家族揃ってでしょうか。
電気が点いたのと私の勢いに驚き、カンを倒すと一斉に逃げ出しました。
二匹程は私が気付いていなかった金網フェンスの下にある隙間から逃走。 もう二匹はフェンスを攀じ登るとガレージの屋根へ。 見た目より動作が早いのには驚きます。

これ以降週一回か、二回の割でタヌキとの対決が始まったのです。
可愛いアライ熊なのに何でそんなに神経質になるのですか、と叱責されそうですが、理由はあります。
本来なら野生で自然の食物を食べているのですが、連中、余りにも人間の世界に入り過ぎてしまっています。 残飯で味をしめてしまうと餌を捜すという行為をしなくなります。
人間の方が後から来て環境を変えたのだ、という事を言っても、天敵の無い今、すごい勢いで繁殖する一方。
村の上の方に出て来るのなら判りますが、ブロードウエイの直ぐ下、家が間隔狭く建ち並び始めている所。
それに雑食性で、残飯漁りをしていますから、どんな病気を持っているか判りません。 

最近問題になってきているのは狂犬病。 犬や猫と同じ様な行動範囲を持っていますので、狂犬病が発見されると必ずタヌキも検査しますが、まず感染しています。 それが犬、猫と喧嘩をして、又うつるわけです。
狂犬病を治す薬はまだありません。 死亡率も高い病気です。
日本では人家に現れる動物に、可愛いという理由だけで餌付けをしたりしているようですが、これは考え物。 自然の動物はなるべく放っておかなければなりません。

さてこのタヌキとの戦い、フェンスの隙間に大きな石を置いたり、前のガラージとフェンスの間を塞いだり、カンの蓋を厳重に閉めるとかしてみました。
ある程度の効果はあったようですが、他所で簡単に夕食にありつけないと矢張りやってきます。
カンを勢いよく倒せば蓋は結構簡単に外れてしまうのです。取っ手と蓋を縛ってもみましたが、こんな不自由な事もありません。

或る夏の晩、まだ日も暮れたばかりの早い時間なのにゴソゴソ音がします。 すっ飛びだしてみますと、一家総揃えでお目見え。
棒でシッシッとやっても人の顔を見ているだけで、動こうともしません。 却ってこちらに威嚇の態度。 腹が立って、家の横に回るとガーデン・ホースを引っ張り出して栓をひねりました。 
狙いをつけて引き金を引きます。 引く量で水量が変るのですが、少々では動じません。<br> 思いっきり引いて一番大きなタヌキを狙います。 さすがに驚いて、コロコロと逃げ出しました。 フェンスに引っ捕まると、サササッと一気に登りきってしまいました。
 他のタヌキも右に習えで一斉に逃げ出します。 殆どは木に飛びつき、あっという間に上へから下を見下ろしています。 ラクーンは木登りの名手なのです。

同じような事が二回程続いた頃にミャオミャオが現れたのです。
ミャオミャオとは私達が勝手につけた野良猫の名前。 この近所では猫を飼っている家が多く、野良猫だか飼い猫だか判らない猫がウロウロしていました。

或る日曜日だったと思いますが、表に痩せ細った子猫がいるとか。
白と黒のブチでしたが、鼻から片方の目にかけて黒い毛。 顔付きで損をしています。
大家の成人した次男が猫好きで、私の妻と共に外で会話中、妻の足に纏いついては顔を見上げてミャオ・ミャオと鳴いています。 ニャオ・ニャオではなく英語です。

動物好きな妻、もう困っていますが、家には既に心配症の猫が一匹、窓の内側から窺っています。 飼う訳にはいきませんが、餌だけは上げようという事で缶フードと水を出すと、あっという間に平らげてしまいました。 余程お腹がすいていたのでしょう。
 私達三人の間を暫く行き来していましたが、ここは潮時と何処やらへ消えて行きました。
これから毎日この猫は同じような時間に現れるのです。 餌は毎日一回。 餌の時間でない時も、何処か近所にいるのでしょう、私達が見えない所からすっ飛んで来るようになりました。
来ると必ずミャオミャオ。 媚びているのでもなく、妻は話をしているのだと言います。 ですから名前はミャオミャオ。呼ぶと必ず現れます。
家にいる猫は鳴く事も忘れたような猫。 しかも顔に似合わずドラ声。大変な違いです。

さて或る日、ラクーンの家族とミャオミャオが鉢合わせしてしまいました。 ラクーンも大胆になってきて、日が沈んで直ぐに現れるようになったのです。
鉢合わせと言うよりは、私達家族の声を近所で聞きつけて、これは只ならぬ、とミャオミャオはやってきたのでしょう。
私はホースと棒切れを持ってタヌキ撃退の準備。
こちらに向かって来るのもいるので用心に越した事はありません。
私とタヌキの間にミャオミヤオがさっと割り込みました。 なんと無鉄砲な事を、と考えている間にも背中を丸め毛を逆立てウナリ始めました。 尻尾の毛も完全に逆立っています。
タヌキ達も一瞬ひるみました。 その瞬間ミャオミャオは腹這いの状態になったかと思うと一歩づつ前進を始めました。 攻撃態勢です。
 この気迫と我々の存在に気後れしたのか、タヌキ達は後ずさりを始めました。
すかさず前進、ギャオーッと鳴きながら爪を立てて飛び掛かろうとします。
もみ合いこそ始まりませんでしたが、気迫十分。 タヌキ達は突然向きを変え一斉に逃げ出し始めました。
 それを見るとミャオミャオは妻の周りをグールッと回り、顔を見上げてミャオミャオ。 尻尾はピンとして、まるで良くやったでしょうと言わんばかり。
猫用のクッキーを出して、皆で頭をなでてやりました。
 そのせいなのか、他にもっと素晴らしい餌場を見つけたのか、タヌキ達は余り来なくなりました。

 ミャオミャオが現れて二、三ヶ月後、サカリにでもなったのか、彼女は暫く顔を見せませんでした。
それでも餌は何時でも出せるように準備はしていました。
或る日曜日、妻と息子と三人で出かける事になりました。 車でブロードウエイに出て曲がった途端、道路上の黒っぽい物が目に入りました。 避ける事も出来ません。 物ではありません。
タイヤにグシュンと骨の砕ける感じ。 確かに動物。  一瞬猫の死骸だと感じました。
日曜日のブロードウエイ車の往来が激しく、自分の車が轢いたのならまだしも、他人が轢いて行った動物の事で停車する訳にもいきません。
妻に 「何か轢かれていたのを又轢いてしまったよ」
「何か見えていたのだけど、何だったの?」
「多分猫だ。 もしかしたらミャオミャオかもしれない」 後は三人共暫く無言。
猫が道路で轢かれているのは良く見掛けます。 あの猫でなければ、と思いつつ、多分そうだという気がしました。
「多分違うと思うよ。もし帰りにもまだ死骸があったら確認してみよう」 と二人に声をかけます。 
その日の帰りは遅くなり、九時過ぎだったと思います。 殆ど同じ位置にボロ切れのような物が落ちています。
車から降りてみると、車に何回も轢かれたせいでしょうか、朝よりは二周りも小さくペシャンコになり、全く原形をとどめない毛皮状の物体。
確証はありませんが、直感でミャオミャオだと思いました。
「暗くて良く分からないけれども、多分そうだよ」
「そんな。 私は可哀相で見れません」
「引き取って庭に埋めるよ」 家に帰ると大きなシャベルを持って現場に戻りました。 
車に注意しながら、道路に貼り付いてしまって、中々取れてこない死骸、というよりはもう物体と化した物を剥がしながら腹が立ち、悲しくなり、怒鳴り出したくなってしまいました。 
持参の紙袋に入れて、早速庭の良く見える所に穴を掘ってやり埋めてやりました。
次の日に妻が切った花を飾っていました。
大家の次男が 「猫は大好きで、飼いたいのだけれども、前に可愛がっていた猫が車に轢かれて、もう飼わない事にしたんだ」 と言っていました。 
大きさからいえば家で飼っているのと同じ位、姉妹だったのかもしれません。

私自身も二回程、ラクーンをはねた経験があります。 一回はタレイタウンの中だったでしょうか。 妻も同乗していました。
夜、坂を登っている最中、直前を横切って来たのです。 ブレーキをかける間もありません。
ハンドルを少し動かすのが関の山。 ハンドルを切り過ぎたら林の中に突っ込んでしまいます。
アッ、切れたかなと思った直後軽くコンというショック。 轢いてはいませんが、どこかにぶつかっています。
リア・ヴュー・ミラーで覗くと両手で鼻の当たりを一生懸命に撫でています。 どうしょうかと思っていますと、さっさと草叢に入っていってしまいました。
その旨を告げると
「ショックは私も感じたのだから、大丈夫かしら?」
「後でどうにかなるかもしれない。 鼻だもんな。 捜す訳にもいかないし。」

もう一度は去年(1998年)の秋。 仕事の終わりに、友人を送りがてらニュー・ジャージー州から回って帰る途中でした。 
場所はティーネック・ロードという交通量もかなりある道路。  州道4号線の下をくぐったすぐ先でした。
 もう日は暮れて全車ヘッド・ライトを点けて走っていますが、まだ帰りのラッシュが終わる前。
右折車があるので、私は追い抜き車線。 速度は 35マイル(約 55Km)程。 前にも後ろにも二,三台の車がいました。
 突然、殆ど真横右手の土手をトトトッと何か降りているのが、目の隅に感じられました。
 一瞬猫と思いましたが、猫よりは一回り大きい。 ラクーンです。

 猫は車を見るとすくんだり、突然道路に飛び出して来るので危ないのですが、ラクーンだったらこんな状況では車道には出てこないだろうと確信していました。
反対側の車線も車が連続しています。 しかしこの交通量でヘッド・ライトの洪水という状態なのに、その動物はまだ止まろうとはしていません。
これじゃ自殺だ、と思った時には、ボンネットの陰でもう見えませんでした。
右側に同乗していた友人もやっと気がつきました。
この間〇・五秒位でしょう。 一瞬アクセレーター・ペダルを軽く押し込みました。
もしラクーンが止まらなけらば、あのタイミングですと前輪は切れていると計算したのです。
通り抜けていてくれ、と願っている間が長く感じられた事。
軽く後部でドンと音がしました。ああ、やっちゃった。
友人が 「目の前に来るまで見えなかったけれど、あれは猫かい? 随分早くから気がついていたみたいだけれど」
「いや、タヌキだ」
リア・ヴュー・ミラーで覗いてみると、寝転がって四本足を宙に向けバタバタさせています。 すぐ後ろの車が右にハンドルをきって避けたのが見えましたが、あの様子では二,三台後の車に又はねられるでしょう。
「足をバタバタさせているよ」
「可愛そうだな。 かえって気がつかないで一発でひき殺した方が良かったかもな。 しかし良く見ているナ。 俺だったら気がつかないで轢いているよ」 
「ウン、タヌキにたたられるかもなあ」 その後、口数も少なく帰宅したのです。
直ぐに車をチェックするのも嫌だったので、数日後に見てみましたが、何の痕跡もありませんでした。 後ろのタイヤにでも当たったのでしょう。

パークウエイでは良く死骸を見つけます。 家族でしょうか数匹で道路を横切るのを見ますが、一匹が渡り出すと、残りも一斉に移動を始めます。 こんな時に、後のラクーンが跳ねられるのでしょう。
リスの死骸もよく見かけますが、春とか秋口で、尻尾の毛もまだフサフサしていない子供が多いようです。 車の怖さが判っていないからでしょう。

次はスカンク。最初に見た時には自分の目を疑いました。 しかし黒のコートに白の筋、フサフサの尻尾はどうみてもスカンク。
 一瞬体が動かなくなりました。 スカンクを驚かしたらどういう事になるか・・・。
そんな私を尻目に、立てた尻尾をユラユラさせながら、ノウノウと道路を横切り草叢に入って行きました。
最初は何処からか逃げて来たものか、たまたま数少ないスカンクに出くわしたのかと思ったら、これが大間違い。 彼等の匂いをしょちゅう嗅ぐ羽目となるのです。

今住んでいる家のそばにかなりの空き地があり、林のようなっています。 地面にはかなり大きな岩も。 スカンクはこのような場所に住んでいるようです。
普段は余り見かけませんが、夜になると道路を横切り餌捜し。
遠くからですと、ラクーンと見分けがつかない事もあります。 但しスカンクはゆっくりと歩いています。
食べるのは花。 せっかく植えて咲いた花が、出そろった頃にもう一種類の動物と競争で食べられてしまいます。
スカンクの匂いというのは説明し難く、始めて嗅いで何だか判った人はまだいません。 兎に角、遠く迄漂う強い匂いで、一度嗅いだら絶対に忘れないでしょう。 
とはいえ、そんなに酷い匂いかと言われても、そうだとも言いきれません。
この匂い、至近距離でもろにかけられたら、なかなかの事では取れないそうです。
体に付いた時はトマト・ジュースで洗えと言われたような記憶があります。
車で夜走っていると、突然匂い出してきます。 一度車の中に匂いが入ると、通過した後でも二、三分は匂いますので、寒いときには窓を暫く開けなければなれず、いい迷惑です。

私自身ひっかけた事はありませんが、死骸をタイヤで踏んだ事は何回かあり、家に着いてからでも匂っている時があります。
家にいても時々外から匂いが入ってきます。 散歩の最中に車に出会ったのか、最近増えてきた犬に驚かされでもしたのでしょう。
家の中では逃げるわけにもいかず、どうしようもありませんね。 外の匂いが消えるのを待ち、その後で換気扇を回す事位しかありません。 
猫が少々可愛そうです。 鼻をゆがめてウロウロしています。 スカンク、見た目は可愛くていい顔をしているのですが。

昔は見た事がないのに、最近よく出会う動物に野ウサギがいます。
最初に野兎と出会ったのはもう 20 年以上も前。
マンハッタンに住んでいた或る夏、友人の家族に呼ばれ、子供一人づつ計6人でビーチに行きました。
まだ我々が免許証も車も持っていなかった頃です。

帰り道、お決まりのロング・アイランド・エクスプレス・ウエイは渋滞しているとのラジオの情報で、確かロング・アイランドの南海岸に近いサンセット・パークウエイを使ったと記憶しています。
もう直ぐニュー・ヨーク市に入るという辺りの野原の中で急に渋滞し始めました。
もう陽も暮れ、物の区別が難しくなってくる時間でしたが、道路の脇で何か動いています。 それも大変な数。
野ねずみの集団にでも出食わしたのか、と最初は考えていました。
その内にヘッド・ライトに反射して無数のガラス玉のような物が見え出し、とうとう車の列は止まる寸前。

私は助手席に乗っていましたので、窓を開けましたが、よく見えません。 車が止まってしまったのを幸いにドアを少し開けてみました。
体を乗り出すとウサギがピョンピョン跳ねているではないですか、見渡す限り道路の脇は兎で一杯。 
集団で海岸側に移動でもしょうとしていたのでしょうか。 その数、何百ではなく何千でしょう。
こんな数の兎を一時に見たのはこれが最初で最後。 怖いような景色でした。

ニュー・ジャージー州の会社で働いていた時の事です。 この会社、敷地がメドー・ランドという野原、というよりは湿地帯なのですが、に面していまして、背の高さ以上のヨシとかススキが密生していました。
夜遅く出るとキラキラ道路端で光って動く物があります。 最初は何かと思いましたが、サッとヨシの中に消えるので確認しょうがありません。
ラクーンだと思っていました。
或る夜、もっと遅く帰宅する事になり、通用口から出た途端、居ました、居ました、正面の芝生の上に二,三匹の兎(ウサギは確か一羽、二羽と数えるんでしたっけ)。
芝生が美味しいのでしょうかモクモク口を動かしています。 ドアの音で一斉に逃げる体制。
ベージュ色で耳は兎としては短くピンとしています。 私が歩くにつれ、一匹、二匹と道路を渡ってヨシの中に入って行きます。
お尻の所に白い毛が丸く生えていてディズニーの漫画に出てくる兎そのまま、可愛くて笑いたくなります。
一度徹夜の仕事をした時に窓から覗いてみますと、芝生の上、野兎だらけでした。
この野兎が最近タレイタウンでも見られるようになったのです。
家の前の通りは家が並んでいますし、犬も結構散歩しています。 どこからやって来たものやら。
どう見ても憎めないのですが、繁殖力が強く、草を食べ荒らしますので、又妻の頭痛の種が増えました。

見た目はまるっきり憎めないで、もっと始末の悪い動物がいます。
日本から来た人に言うと、
「素晴らしーい。可愛いじゃないですか。こんな所に居るなんて!」 と感激されますが、こんなに困った動物もいません。
鹿です。 東京から言えば鎌倉辺りに鹿がいるのと同じ距離感覚なのです。 最初に見たのは、私の妻と娘。
まだタレイタウンに引越ししたばかりの頃、大家さんの娘が二人を近所のドライヴに連れ出してくれました。 ロックフェラーの牧場があり、馬が居るので、花見がてらにその辺りの景色を見に行ったのです。
その晩私が帰宅すると 「鹿が見えたのよ」 と二人が報告。
「牛が何かの見間違いだろう」
「角があるから鹿よ」 という事で、その時の話は終わりました。
その後暫くして車が手に入り、もっと郊外まで出かける事が出来るようになり、あちこちで鹿を見る事になります。

或る休みの日、遠出をして帰宅が朝に近い時間になりました。 
真っ暗な上に、モヤがかかり、ソウ・ミル・リヴァー・パークウエイは只でさえ曲がりくねって運転し難いので、用心の為にスピードを 40マイル(65Km)迄下げていました。
所々道路から離れた場所で、丸く反射する物があります。 例の昔の道路標識についていたガラス玉の反射と同じようなもの。
野兎にしては背が高いし、離れているので車のヘッド・ライトの照射範囲にも入りません。
時々霧が深くなりスーッと前面が白くなったりします。 カーブに差しかかった時に又反射が。 
今回はヘッド・ライトがもろに照らし出しました。
なんと鹿の一群です。 ギョっとしました。 田舎で鹿が車によく跳ねられるとニュースで知っていたからです。
何となく空が明るくなり出し、物の形が掴めるようになってみると、いるわ、いるわ、あちこちで草を食べています。
知らぬが仏。飛び出してこなかったのが幸い。 勿論スピードはもっと落としました。
他に走っている車も殆どありませんので追突の心配もそれ程気にはなりません。
この鹿達、タレイタウンの一つ手前の村を通り過ぎる迄、道路脇にいました。
盛りがつくとオスは前後の確認もなく飛び出すので大変に危険とされています。
ニュー・ジャージー州からの帰り、カーブを曲がった途端に、大きな角をつけたオスが道路に出てこようとしていて肝を冷やした事もあります。
ブレーキは踏みましたが、雨上がりでとても間に合わない距離。
アーッと思っている間にひょっと草叢にその鹿は戻りました。
あの大きさですと、前面ガラスを割って飛び込んできたでしょう。

自動車保険の規定のうるさいアメリカで、説明さえつけば責任を問われない事故が一つあります。
もうネタは割れていますね。 鹿との衝突事故です。
自分が事故の張本人である場合、警察とか保険会社は、不可抗力という理由はあり得ない、という見解に立ちます。 スピードの出しすぎか、安全運転を怠っていた、という事になり保険の掛け金が上がります。
鹿との事故だけは、保険金を請求しても掛け金が上がらずに済むのです。
何故か聞いてみました。 鹿は動物、彼等の動きは誰にも予想がつかない。 鹿が飛び出してくるかどうかは神様の思し召しだ、との事。

リスを跳ねても損害はありませんし、ラクーンでも余程大きいか、スピードの出し過ぎ出でない限り、車に対してのひどい損害はありません。
犬、猫の場合は飼い主も関係してくるという事もあるのだと思います。
なお飼われていると判った動物を跳ねた場合、殆どの市町村では、飼い主を捜して知らせるか、警察に報告して、死体の始末をする義務があるようです。
もっとも条例があっても実行しているかどうかは別の話ですが。
鹿は大きいものでは 200ポンド(約 100kg)を越すのも多いと言われています。

タレイタウンでの二番目の大家さんの次男、例の猫好きな人ですが、車が好きで車体の修理のプロになった男。
高校に行けない人や、高校の授業の一環としての一種の職業高校で車体修理を教えていた事もある程。
修理場は家の車庫。 その頃は教えていた事もあり、月に一台程度のゆっくりとしたペースで修理していました。 俗に言う板金作業ですね。
4年住んでいた間に二,三件の鹿との事故による車が来ました。
一台の車はラジエーター迄壊れ、窓にもヒビが入っていました。 勿論、バンパー等はクシャクシャ。
スピード 25マイル(40Km)位で走っていた所、急に鹿が現れ、衝突との事。
相当の損害でしたが、運転者には怪我が無かったとの事。 スピードがもう 20Km も速ければ、跳ね飛ばされた鹿がフロント・ウインドウーを突き破って飛び込んで来ていたかもしれません。

毎年ニュー・ヨーク州等で何人かの人が実際に亡くなっています。
又、時期になると、屋根の上にはみ出す位大きな鹿を乗っけて走っている車を見かけます。
 もっともこれは狩猟期間中に殺された鹿を持って帰る場合が主なのですが、自動車と衝突した場合、警察に対する報告義務があり、現場調査後、死体の始末をどうするか聞かれるそうです。
本人が優先ですが、最終的に持って帰る人がいない場合は地元の清掃局のお世話になり、撤去代を払わせる町村もあるようです。

結構狩猟の盛んな国ですから、地方では角を飾ったり、皮をなめしてジャケットを作ったり、食用にしたり、持って帰る人には事欠かないようです。
もっとも、禁猟期間で車の屋根に縛り付けて走っていたら警察に止められる事でしょう。
 ですから警察を呼んで報告書を作成し保険会社にに連絡する気の無い人は、そのまま轢き逃げ、という事になります。
ハイウエーで時々鹿の死体が放置されているのは、この為です。
この何年かの間に鹿の死体を見る事が増えました。 鹿との交通事故、これは人命にも関わる事ですが、もっと身近に困る事が沢山あるのです。

タレイタウンで住んでいた最初の二軒の家は村の中心近く、鹿のしの字もありませんでしたが、現在住んでいる家は丘を登った上の方。
10月に引っ越して次の年の春、妻が植えて楽しみにしていたチューリップ、朝起きてみると、もう少しで咲き揃うという時なのに、花だけが見事に切られていたのです。
丁度花の下、同じ位置をハサミを使ったようにスッパリとやられています。
リスはいたずらしますが、花は食べません。
誰かが花を切ってしまったにしても、茎を全て残してというのは合点がいきませんし。
この少し前に、下の庭では水仙が黄色く咲き誇っていたのですが、これは一輪もやられていません。
この年、この事はミステリーで終わってしまいました。 又、なけなしのお金をはたいて、妻は球根を買いこみました。
その翌年、つぼみがふくらみ始め、咲く頃にはなるべく見張りをする、といきまいていましたが、チュリーップが咲きそろったある朝、まるで見計らったように花が消えています。 
暫くすると、今度は後から咲き出した花達も、或る日突然花だけ切られているのです。
いずれも鋭い切り口。 そうこうしている内に、庭で鹿を見かけました。
一回目は確か早朝。 二頭で裏の花をムシャムシャやっているではないですか。
「コラー」と声をかけ斜面を駆け下りると、ジャンプするように逃げていきました。
この後、早朝と夕方しょっちゅう鹿を見かけるようになったのです。
時には数頭の群れで現れ、散々食い荒らします。 特に草花の無い冬には、頻繁に現れ、木の皮を食べてしまいます。
 若木等は、この一発で弱り、枯れてしまいます。

鹿もさるもの、本当に危害は加えられないと知っていて、時には側まで行っても逃げ出さないことが多くなり、石を投げてもよっぽど近くに飛ばないと、こちらの顔を白々と見るだけ.本当に腹が立ってきます。
残念ながら昔の法律で狩猟は特定の短い期間しかできませんし、この郡では弓矢の使用しか許されていません。
冗談を、と言われそうですが、理由はあるのです。
矢ですと遠くに飛びませんから、かなり近寄らなければなりません。 流れ弾や跳ね弾で人が怪我をする機会が少なくなるという事からです。
又田舎の方で銃での狩猟が許可されている所でも、狩猟許可期間二週間位に1人成体2頭迄とか決まっています。
広大なロックフェラーの敷地内は人もいなく、最近迄は銃で定期的に殺していたそうで、鹿の腸詰めというのを貰った事があります。
臭みが少々あって硬く、美味いとは思えませんでした。
向こうで殺すので、鹿がこちらの方に下りてくるのではないか、とひがんでしまいます。

昔は狼やコヨーテとかの天敵も多く、バランスが取れていたのですが、今や鹿の天国。 繁殖力が強くドンドン増えていきます。
おまけにディズニーの「バンビ」の影響で子供には人気者。 鹿の被害を知らない人には我々は野蛮人のように思われているのでしょう。
確かにあのスマートな体、大きな黒い目、短くピンと立てた尻尾に真っ白なお尻の毛をみていると憎めません。

しかし、鹿害はここだけの問題ではなく、米国東北部の都会の周辺地全体の問題になってきています。
フィラデルフィアでは、市部の住宅地に迄現れ始め、草木を荒らすので困っているようです。 
おまけに、この何年間の研究で判ったのは、ライム・ディスイーズと呼ばれていた病気の原因は、鹿が運ぶケシ粒程に小さなダニにいるヴィルスという事になり、今迄東北部だけの特殊な病気であると思われていたのが、実はロッキー山脈地方で見つかっていた病気と同じものと判りました。
もっと最近の研究ですと、野ネズミが元々の元凶。 鹿は運んでいるだけで、鳥にでも見つかる事があるとか。
残念ながら発病するのは人間だけのようで、症状は軽い風邪の症状からリューマチのような症状に進行し、気がつかずに放っておくと、心臓に菌が回り死ぬ事もあります。

病気の名前が有名になり早期発見ができるようになった事と、治療法が進んで来たので死ぬ人は減ったようですが、小さな傷口、気がつかない場合が多く、リューマチ症状が現れてから医者に行って、一生調子が回復しないという人も多いようです。

この数年の間、ピクニック等に行く時は、夏でも長袖のシャツにズボン、靴下をズボンの上にたくり上げて、帽子を被る事、と保健所から警告が出ています。
勿論ペットにもついてきますから、ペットのチェックもしなければなりません。 
私の妻は夏の庭手入れの時には重装備。 滑りやすい薄手の白のジャンパーに白のズボン、白の靴下、白の帽子に手袋といういでたち。
勿論家に入る時には、良く払い、全てをチェックしてからです。 特に鹿の糞をよく見掛けるときは慎重です。
村でも問題にしているようですが、都会から越してきたバンビ派のヤッピー連中に、可愛い動物を殺すなんて、と押されて何もできないのではないかと思っています。
しかし天敵の無い今、ほってほけば増えるばかり、自然の食物が減り、変な病気でも鹿の間で流行ったら、と気にしています。

コヨーテの名が出たので序に。
1999年になってから、ニュー・ヨーク・タイムスのウェストチェスター版に、もう東北部では見ることが出来なくなった筈のコヨーテが現れた、と大きな一面の記事。 
数カ所で目撃者が出ており、ある町では捕獲されたのですが、写真を見ると、家にいる犬にそっくり。
我が家の犬は、ジャーマン・シェパードと数種の雑種のようで、大きくはないのですが、顔が長く、黒と茶と白っぽい毛が混じっていて、狼の血が入っているんじゃないかと冗談を言っていた位。 
記事を読み進んでいますと、タレイタウンでも見かけたという証言。
まさかー、それは、家の犬を見間違えたのでしょう、とつい独り言。
夜は一匹で散歩に行っていたのですが、昼間でも小さな子供が 「コヨーテ」 と言って近寄らない位ですから、夜だと、おっちょこちょいが見間違えても可笑しくありません。 

首輪ならぬ胴輪(肩輪ですかね)をしてはいますが、夜では一寸、と思っていましたら、、この4月にセントラル・パークで大捕り物、半日かけて一匹のコヨーテを追い掛け回し、やっと捕まえたとの事。 公園課ではショックだったようです。
ブロンクス区でコヨーテを見たという通報は幾つかあったそうですが、誰も深刻に受け止めていませんでしたし、まさかマンハッタンの中心のセントラル・パークに現れるなんて、というのが本音。
パークの中には野鳥の保護地域もあり、一時はそこでも見かけた、というので大騒ぎになったとの事。
コヨーテなぞ見た事もない警官達がおっかなびっくりで追いかけていたようです(殺さないように、という指示があった事も理由です)。 
最終的には麻酔銃で撃たれ、動物園に一時的に保管され、調査後に、何処か山にでも連れて行かれて放されるのだ、とか。
これも自然保護、自然保護と掛け声をかけている内に、自然が戻って来てしまった一つの例と言えます。
所で日比谷公園に狼が現れるなんて話は信じられないでしょうね。

木の皮を食べる、で思い出したのは、きつつきですね。 皮の中の虫をほじくり出しているのですが、春の終わり頃から夏の間まで時々やってきます。
一種類だけではないのですが、目立つのは、例の頭の先が赤いウッディ・ウッドペッカーと同じ種類。
桐の木があるのですが、柔らかくて虫が付き易いのか、つつくのに楽なのか知りませんが、コンコンコンコンとかなり早い速度で叩き込んでいます。
生きて行く為とはいえ、脳震盪でも起こすのではないかというスピードと音です。

頭が赤いといえば、カーディナル、メージャー・リーグのユニフォームのと同じ鳥ですが、これも現れます。
この親類で、逆に鮮やかなブルーのブルー・ジェイもやって来ますが、両方とも 鳴き声はきれいではありません。 
シェークスピアに出てくる夜悲しげに鳴く鳥、あれはナイチンゲールだったでしょうか、その声も時々聞こえてきます。

池やハドソン河の川岸、ゴルフ場には秋になると大群のカナディアン・ギースがやってきて、糞と芝生を荒らす事で嫌われています。
幼鳥を育てている時は要注意。
私の息子が小さい時にパン切れをあげようとして側に行ったら、親鳥が羽を拡げてすっ飛んで行って、息子はその羽で薙ぎ倒されてしまいました。
 2才位とはいえヘビー級の息子だったのですが、ギースは羽を拡げると 1m 以上、大変な力を持ってますし、嘴も大きく、大人でも用心に超した事はありません。
一寸田舎に行くと、山鳥から野生の七面鳥までお目にかかる事ができます。 
こんな事を書いていると、よっぽどの田舎の雰囲気ですが、最初に書きました様に、この村はマンハッタンから一時間もかからない所なのです。

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