巨大な暗箱



年をとってきた為か、最近の出来事より小さな頃の思い出の方が、はっきりと浮かび上がってくる事が

多くなってきました。


五才から十才前迄、私は松本に住んでいたのですが、これは小学二年生頃のものと記憶しています。


或る日、何でこんなに明るいのかなア、と感じながら目が醒めていました。

早起きの母が台所でたてる音もまだ聞こえません。


後から考えると、夏の朝、六時もかなり前の事だったのでしょう。

雨戸にある幾つかの穴から、鋭く陽が差し込んでいました。 昔の雨戸は、木枠に薄い木の板を貼っただけ、

節穴もそのままです。


光に反射して、ホコリがチラチラと踊っているのを目で追いながら上半身を起こすと、

正面の漆喰の壁に何かがポーッと見えています。


まだ半分寝ている頭で見続けている内に、はっきりとしてきました。

東側の山々、美しケ原方面の景色が上下逆さまに映っていたのです。

ざらざらした壁なので、細部ははっきりしませんが、しっかりとした像です。


その頃は幻灯器も珍しかった頃。

雑誌の付録に、堅紙を折り曲げて作った箱に虫眼鏡用のレンズを取り付け、

懐中電球の光でセロファン紙等に印刷された絵をスライド代わりに映すものがありました。

しかし高価な幻灯器でも光源ムラは出るし、色はオレンジがかり、像も大してシャープではありません。

壁の像は鮮やかな色彩。


当時の新聞の映画広告では、総天然色というのが殺し文句でしたが、正にその通り。

くっきりとした人工的な色ではなく、空の青、緑がかった山々がパステル調でそこにひろがっています。


今の私ならば、大きな暗箱カメラの中に居たのと同じ事、で済んでしまうのですが。

もっとも歴史的には写真術が発明される前から暗箱は使われていました。

画家が風景画を描く時にスケッチ代わりに使っていたもので、名前はカメラ・オブスキュラ。


勿論最初からレンズが付けられていた訳ではなく、内側が黒く塗られた箱の一面をスリガラスに替え、

その反対側の板の中心に小さな穴をあけた単純な作り。


初期のものは人間が中で自由に動ける程の大きさで、内側の壁に映る像をトレースしていました。

木製のストーム・ウィンドウにあった節穴からの像がそもそもの始まりでしょう。


レンズ無しの暗箱カメラはピン・ホール・カメラと呼ばれていますが、

その名の通りピンの先で突ついた穴がレンズ代わり。

出来るだけ薄い板に真円に近い穴をあけます。


箱から作っても良いのですが、簡単な方法として一眼レフ・カメラを利用できます。

予備のボディ・キャップの中心に直径数ミリの穴を開け、厚めのアルミ・フォイルをピンと貼り、

その中心に縫針等で極々小さな穴を開ければ出来上がり。


少しマニアックにいきましょう。 部屋は昔の四畳半でしたから 約2.7メートルとなります。


観光地で、黒い布を被り 「ここから鳩が飛び出しますよ。見ていて下さい」 等と言われながら撮影されていた

カメラのフィルム・サイズは大体が 5X7インチの俗名キャビネ版。


壁の像の大きさは、新聞紙の半分位と記憶しているので、縦横倍づつの 11X14 インチ・サイズ程度。


標準レンスの焦点距離はフィルムの対角線の長さと考えられていますから、この場合約 45cm。

ですから焦点距離 270cm は、標準レンズの 6 倍程度の望遠レンズと等しくなります。


そんな望遠レンズに、と驚かれるでしょうが、 360度遥か彼方迄見渡される場所では 35 ミリのカメラの

300 ミリ相当でも大した事はありません。


レンズとして考えた場合の明るさは、距離を直径で割りますから、 1 センチメートルとして、F270 程度。

日常的な撮影で使うのは F8 位ですから 10 絞り分小さい、即ち 1/1000 程の光を通していたという事になります。


昔の宣伝文句で、蝋燭の光でも撮影出来る F0.95 レンズというのがありました。

ASA100 のフィルム (ISO 100) 使用。 1 秒のシャッター速度で F1の絞りが、露出値 1(EV1)。

晴天の雪景色が F 11で 1/500 のシャッターとすると EV16 となり、この差は 6万 4000倍です。


この部屋の場合、外の明るさが F 8 で 60分の 1 位の明るさだったと仮定すると、単純計算 16秒の露出時間という事になります。


穴の直径は小さい程イメージがシャープになるのですが、小さ過ぎても回析現象の為に光が拡散し始め、

イメージは徐々にシャープネスを失い消えてしまいます。 逆に 穴が大きすぎても、決像しません。


私の部屋の場合、節穴の大きさと郡屋の大きさがマッチして、ピン・ホール・カメラとなっていたのです。

白い壁はピント・グラス。


良く見れば、一つだけではなく他にも見つかりました。


暗くて微かに見える像はシャープ、小さな穴からのものですが、ディテールは出ているようです。

像の周辺は暗すぎて見えず、イメージ・サイズは同じでも、像自体は小さく見えます。 明るい像の方は見易くても

細部がはっきりしません。


見失うのが勿体なく、暫くの間、起き上がりもせず眺めていました。


この後、数回しか見ていません。

太陽の方角、即ち季節、太陽の上下の角度、即ち時間、そして光の質と強さ、天候。

これらがある一定の条件にならないと駄目なようです。

この部屋の場合、太陽の光が真っ直ぐに入り込んで来る夏の早朝だけのようでした。


この後何回か引越しをしましたが、他の家で見た記憶はありません。

最近では雨戸のない家もあり、あってもトタン板貼り。 最近の子供達は、このような経験を味わっているのでしょうか。

壁に浮き上がった明るさと大きさの異なる幾つかの同じイメージ、不思議な世界でした。


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