縮尺物差





































メトリックとインチ両用のノギス
中央上の目盛りがメトリック。数字は
センチ・メーター。
下側がインチ。 小さな数字は 1/10
インチ、大きな表示がインチ。
1インチは約 2.5cm と、判ります。
一般的には、 1/10 単位というのは
使われていません。
メートル法を採らないアメリカ (1999年執筆)


メートル法を採らないといっても、これは一般的アメリカ人、特に中高年齢層の考え方を示す一つの例です。

アメリカの貿易赤字が増え出した70年代、国際競争力をつける為にメートル法を採用しては、
という考え方が強くなりました。

ヤード・ポンド法は十二進法ですから計算する時に大変面倒ですし、メートル法を使っている国の方が
圧倒的に多くなった為です。

ヤード・ポンド法は、元々の基準からして曖昧。 長さの場合は、一歩の歩幅が 1フートという事ですし、
重さの方に至っては、その時によって基準が変えられたりしています。

その上、液体と固体の重さの関係となると、大変にややこしい。

容量では 1ガロンが 128 液体オンス、ガロンの 1/4 がクオート、細目の牛乳箱がこれですね。

そしてパイント。
これは約 500ccで個人サイズの紙製ドリンク・パックがこれに当ります。

1ガロンは約 3.8 リッターですから、液体オンスは約 30cc。

重量では 1ポンドが約 4.5キロで、16オンスからなっており、1オンスは約 28グラム。(以上アメリカ法)

お解かりのようにポンドとガロンの関係がキログラムとリッターの関係にならないのです。

フートとヤード、マイルの関係等というと、まるでお手上げ。
実際にヤード・ポンド法を使って計算をすると大変に混乱してきます。

この事を、こちらに進出している日本の建築会社で昔手伝いをした時に聞いてみました。
設計、デザインでは何の問題もないとの事。

私も中、高と製図を取っていましたので興味があり、図面製作を見学しました。

秘密は三角の断面をした 30cm程の物差し。各面の両側に定規状の刻みがあり、各々、1、1/4、1/8 とか数字が彫ってあります。

これは1インチの目盛りが 1インチ、即ち原寸の 12インチ定規として使える面、1インチ刻みの目盛りが

実寸 4インチの面、1インチが 8インチの面という意味になります。

大きい目盛りが 1フートづつ、そしてゼロに近い所で又々12等分され、これが 1インチの目盛りとなります。

この物差しを図面に当てれば、慣れは必要ですが長さが一目で読めるという訳です。

今住んでいる家を購入した時に、初期のCADプログラムを買い込み、図面を作ってみました。

紙の上でする訳ではありませんから、カルキュレーターを何時も側に置いて計算しながらの図面引きです。

縮尺も日本と違い四の倍数でいきますから 1/24 とかになり、全然先に進みません。

それは兎も角、これを工事現場に当てはめると図面を引く以上に大変。 誤差からくる半端な数字が
出て来るのです。

例えば 3/4インチの半分の材料が必要としますと、3/8。 即ち1/8、1/16、1/32 とか頭に浮かび難い
数字が基礎となり、十進法の様に簡単に表示できませんし、割り切れなくなってしまいます。

英米ではこれで船を建造し飛行機を作ってきていたのです。 一番ややこしい例は材木でしょう。

日本で有名になったツーバイフォー工法の名称は建築一般に最も使われている角材の断面から来ています。
即ち 2インチに 4インチの材木。 しかし本当のツーバイフォーを買う事は現在無理といえます。

何故なら実寸では 1/4インチ程小さくなっているのです。

私が日曜大工を始めた 1970年代には既にこうなっており、そういうもんだと思っていましたが,

古い角材と合わせると寸法が違う事に気付き、昔から大工をやっている人に聞いてみた所、
確かにツーバイフォーはツーバイフォーだったとの事。

材木屋で聞いてみても同じ返事。

木を節約する為に、切り代の分も込みにしたのだとか。 そんなに歯の厚いノコギリを使っている訳もないのですが。

木を組む時はこの 1/4インチの差で計算が面倒になってきます。

2インチの半分ですと 1インチ、しかし、これが 1 3/4インチの半分となると、えーと、と言う事になります。

ユニット工法とかプレハブという手法も、現場で寸法を取りながら材料を組んでいくのがやっかいなので
開発されたのではないかと勘ぐってしまいます。

蛇足ですが、最近発表された日本の教育方針では帯数の分数計算を教えなくなるとか。
これは生活上、意外に必要なのですが。

日本が尺貫法からメートル法に切り替えたのは、私が小学校二年生位の頃と記憶しています。
当時尺貫法とメートル法の換算を徹底的にやらされました。

子供達はスムースに入れたと思うのですが、大人達にはきつかったようです。

お袋は裁縫が面倒になる、と当初文句を言っていました。 それに、裁縫には確か鯨尺というのがありましたっけ。

しかし 10寸が1尺、1尺が 約 30cmと、慣れるのにはそんなに時間がかからなかったようです。

日本での浸透は早く、諦めが早くて、熱くなり易い国柄だからとも言えますね。

勿論、日本だけの度量法では世界的に困ると言う事が大きな推進力になったのでしょう。

アメリカでは 1970年代の始めに、10年から15年位の時間をかけて徐々にメートル法に切り替えていこうと考えていました。

一番の理由は矢張り輸出の増大。 1960年代迄はアメリカの国内生産量に対する輸出量というのは、
たかが知れたもの。

国全体から言えば、自給自足。為替レートの事もあり、あくせく輸出で金儲けする必然性も余り無かったのです。

アメリカの人口は日本の倍、単純に考えただけでも国内市場は日本の倍ですから、内需を満たすだけで
十分に儲かり得るのです。

この頃のアメリカでは企業の集約化が盛んで、大コングロマリートが続々と出現していました。

生産高、売上高を上げるには吸収、合併が一番手っ取り早い訳です。

その上で利益を増やすには、海外へ手を広げるのみ。

しかしベトナム戦争が続く中、70年代からは、経済も行き詰まって来ました。

「銃もバターも」という政策に破綻がきだしたのです。

その反面ヨーロッパ諸国、日本等の工業力は上がり、為替レートは不変のまま。

アメリカの国際収支は赤字で、金本位制度の廃止もやむなくされています。

輸出を増加するには製品の価格、品質はもとよりアフター・サービスも大事。

輸出先でパーツが容易に手に入らなければ、競争は難しいものとなります。

心臓部の高価なパーツならまだしも、ネジ一本迄用意しなければなりません。

兵器等は別としても安い日常必需品迄調達するのは大変な事。


まずは教育から、という事から学校でのメートル法の導入が始まりました。

娘がこちらの小学校に入った時は、もう教えていましたが、日本程には徹底していなかったようです。

今でも多分外国語を教えるような感覚で授業は続行されているのではないかと思われます。

同じ頃にメートル法に切り替える方針を打ち出したカナダでは、教育面のみならず、
目に付く道路標識も両方を表示するというやり方をしたりして、現在では普及しているようです。

ところがアメリカの一般大衆の考え方を変えるのは無理だったようです。

しかも切り替えに反対する理屈が整然としているのなら良いのですが、どちらかというと感情的、
理屈の為の理屈ですから、やっかい。

何で世界のアメリカが他国に合わせなければならないのか、
国民が要求もしていない事を押し付けるとは、
と言うような正論(?)から、

マイル・ラン(1マイル競争)は 1.6km 競争になるのか、

インチング(一寸刻み)はどうなるのか?

シェークスピアの劇で 1ポンドの肉が 400何十グラム、1パイントの血は???と

言わせなければならないのか、とか、とか、の感情論迄。

日本でも「一寸の虫にも五分の魂」とか「百里の道も一歩から」等という諺を換算してしまったら、

味も素っ気も無くなるというような反応が当時の新聞の読者投稿欄に寄せられていました。

日本ですと、理屈は判ったけれども、それでも感情的には「ノー」というのが多かったようですね。

アメリカの場合は、悪い点を穿り出し、自分の意見を一方的に押し出すというのが多かったように記憶しています。
善し悪しを公平に天秤に掛けるのではなく、自分の立場上での理屈をドンドン積み重ねて行ってしまうのです。

納得さえすれば、あれは間違いだった、とあっさり認め後にしこりを残さない人も多いのですが、
絶対に認めないという人も多いのです。

前にも書いた進化論の事や、あれだけの史実が出て来ても、アウシュウイッツ等でのユダヤ人大量殺戮は

絶対に真実ではなく、でっちあげられたものと信じ込んでいる人もいます。

(第1部、又は第2部に書いてあります。2013年)


我々にしてみれば、何を目くじら立てて換算に固執しなければならないの、と言いたくなってしまいます。

道路の制限速度が 65マイル、ならば 104km とするのでなく100kmで良いのです。

出口迄の表示も 1マイル、1/2マイルを 1500m、800mにすれば良いのです。

一時幾つかの州でハイウエーの標識をマイルとキロメーターの両方で標示しましたが、

サインはマイルで切れの良い所に設置してありますから、メーターでは中途半端な数字、却って混乱を招いたようです。

反対論の多くが、この端数についてでした。 もっと柔軟に物事を見つめて欲しいものです。

と言う訳で、他の品物も材木に習って、名称だけは残して実寸値を変えればいいのです。

1/4インチ直径のパイプは 6mm か 7mm のパイプと決め、相変わらず 1/4パイプと呼ぶだけの話です。

一番困るのは、既に建物内に設置されている水道管や木材の類。

交換用にはアダプターを使用し、新築の建物から新規格にすれば、と考えるでしょうが、

製造業者は生産ラインを増加しなければならないし、在庫種類も増えるので猛反対。

アメリカの会社は、投資しても直ちに目にみえて利益に還元されない事に関しては中々動きません。

それは、もしも 10年かけてそうしなければならないという法律だとしてもです。

こんな場合は政府に泣き付き、目標日を遅らせたり、骨抜きにする事を考えます。

オイル・ショックの後、政府が出した自動車製造会社の全車平均燃費を年毎に減らす案や、

バンパーのショック吸収規制案が環境保護団体や保険会社等の反対にもかかわらず


骨抜きになっていったのと同じような事です。

(日本でも昔は水道管等でインチを使っており、現在でも 7mm 接続とかに名残があります。

パイプのネジを切る場合、現在はISO規格で、ピッチが異なりインチパイプでは合いません。

1936年から第2次大戦中に製造された D51蒸気機関車の寸法を測りましたが、驚いた事にネジ、
パイプ等はインチ規格でした。2013年)


そんなこんなで、一般消費者には関係の少ない、輸出に影響が強い所から導入が始まりました。

航空機、自動車製造、軍需産業等です。

現在ではメトリックのレンチやネジをハード・ウエア・ショップで見かけるようになりました。

車のパーツは全部と言わないでも殆どがそうでしょう。

又商品の中身の量表示も両方記載されていますが、メトリックの方はカッコに入っており、
前にも書きましたように、忠実な換算をしてくれていますので、
知らない人には何とややこしい中途半端な数字の容量なのだと取られてしまいます。


何時かはアメリカでもメートル法を全面採用しなければならないでしょう。 細かい数字をはしょって、
1m はこの位、1kg はこの程度と頭の中に浮かんでくるような訓練をしてくれば良いのですが。

語学の勉強も同じ。
単語の意味の訳を憶えていくのではなく、スペルそのままを叩き込み、単語の意味する物、事を記憶する方が楽ですね。


一言で言えば保守的で頑固、そして自分の考えを押し通そうとする国民性。最初はバラバラ。

大勢の意見が煮詰まったとしても、最後迄強硬派が残ります。

議会には「フィルバスター」という制度があり、これで議員はぶっ倒れる迄自分の意見を言い続ける事ができます。

ジェームス・ステュワートの主演映画「ミスター・スミス ゴーズ ・ツー・ ワシントン」にはっきり描かれていますね。

正に民主主義の最たるものなのです。 良いか悪いかは別として、日本の議会でやっていた牛歩戦術とは大分違います。

国の政治自体でもそうです。 一度こうと決めたら、それは理論の上に成り立っている訳ですから、
間違いではないのです。

他国の感情がどうであれ、関係はありません。逃げ道も作ってあり、失敗しても理屈だけは通すようにできています。

(時々、国全体が感情的に一つの方向に突っ走ってしまう事があります。
大戦中の米国籍の日系人の強制収容法や 9.11後のアメリカの政策等です。

これに関しては後程書く事ができれば、と思います。 2013年)


次いでに関連した事一つ。一時アメリカ、アメリカ人が大変に嫌われた時期があり、植民地主義者、米帝国主義者なんていう言葉が流行りました。

勿論ベトナム戦争の事が大きな理由ですが、(アメリカ人としては、一生懸命に自由主義を
唱えているのに、何だ、という気持ちがあったと思います)

この頃のアメリカ人の海外での生活は、反発を買われても仕方がないようなものでした。


「郷に入れば郷に従え」という諺を地でいったような、青年達による平和部隊もありましたが、これは一部。

観光客、政府の役人、ビジネス・マン、軍人を含め、多くのアメリカ人はこの逆をやっていました。

アメリカ生活の延長そのままを要求し、そこの国の一般の人達とは断絶された生活をしていたのです。

特に当時はドルが強く、世界中何処に行っても物価が安い訳ですから、自国の生活水準をそのまま他国に持ち込みました。

一等地を占有し、鉄条網に守衛迄雇い、大きなアメ車を乗り回し、買い物も毎日の食料品は
現地人経営店では買わず旅行に出ては骨董品、民芸品の買い放題、ではひんしゅくを買うのは当たり前。

勿論これは一般論。 全員の事ではありませんが。

海外居住者の場合は、車から、エア・コン、オーブン、冷凍庫、大型洗濯機、乾燥機迄アメリカ製を持ち込んでの生活。
当時のアメリカと日本の国力から考えればステータスの差をマザマザと見せ付けられたと言って良いでしょう。


私は60年代後半に東京で四家族の外国人と知り合っています。 二家族はヨーロッパから。 もう二家族はアメリカから。

高級地の冷暖房付きの大きな家。 この頃中央暖房をしている家というのは殆ど無かった筈です。


アメリカ大使館では、六本木の丘の上に大使館勤務者用のアパートメント・ビルと、その下に数軒の住宅がありました。

広い敷地の中にドンと構えているビルからの眺めは最高でしたが、驚いたのはその地下室。

アメリカのスーパー・マーケットがそのままにあるのです。 オープンの冷凍ケースが並び、
ステーキ用の肉から何から、全てアメリカから運ばれてきて、そのままドルで売られていました。

当時、ゾウリ程のサイズのTボーン・ステーキが 3 ドルしていませんでした。

勿論 1 ドルが 360円の頃ですから、800円一寸という事ですが、約 700グラム位のステーキ用肉は、
日本の店ですと、二、三倍はしていたでしょうし、一人でこれだけ食べるというのも考えられませんでした。
肉屋さんで挽肉一家で 200グラム、等と買い物をしていた頃の事ですから。


ベーゴというパンや、クリーム・チーズもここで知り、横浜ではスイート・コーンに
山盛りのソフト・アイス・クリームを食べ、その美味しさに驚嘆しました。

ここで手に入らなければ、調布の米軍 PX で何でも手に入りますし、最新の映画も見れました。

調布にはアメリカン・スクールもありますから、基地から一歩も出なくても生活できたのです。

時々食べる日本食品といえば、Tenpura、Sukiyaki に Sushi。こんな生活で何処までその国の事が分かるというのでしょう。


PXは軍人、軍属専用なのですが、米人でドルさえ持っていれば問題なかったようです。

ラジオでは FEN があり、アメリカン・フット・ボールの実況や、当時視聴率最高の TV番組、
ジョニー・カーソン・ショーもやっていました。
ちなみに FEN の周波数は NHK の後、民放前で、かなり強い電波でした。

逆に言えば、自由社会の為に海外に駐屯している兵士の為には、最大の努力をするのは当然といえば当然。

そのついでに自国民からの要求があるからそのようなサービスもしているのだといえます。


まあ日本等では、ましな方だったのでしょうが、開発途上国でこれをやれば反感を買うのは当たり前。

と、思っていたら、困った事に、何処かの国の人達もそれを始めましたね。

バブルの最中にはアメリカの一等地を買い漁っていたのですから世の中よく解りません。

契約条件が最初から不可思議なロックフェラー・センターも含め、長続きはしないと
予測はしていたのですが、一寸無理をしすぎたようですね。

と言うよりはアメリカにしてやられたかしら?

一時は経済戦争で日本に負けたとか言っていましたが、今その仕返しをされている感もあります。
まだこの先アメリカには叩かれそうです。

始末に悪いのは、日本人には集合性があり、中々地元に溶けこもうとしない事です。

目立たないようにやっても、団体行動ですからミエミエ。かなり反発があるのでは、と杞憂しています。

ペルーの領事館官邸占拠事件もそうですが、日本人がらみの事件がどんどん増えていくでしょう。

札束での市民外交なんぞは、控えて頂きたいものです。

(上の 10行程に関して、現在は経済状態が悪い事もあり、改善されているようですが。 2013年)


アメリカ人は、生活は隔離していましたが、様々な人に会おう、話しをしよう、という興味が大変に強く、
人の中にドンドン入っていきますね。

場合によってはアメリカよりも日本の方がもっと嫌われている所があると思います。

脱線してしまいましたが、アメリカは世界で最も富めた国、その生活慣習そのままに世界に出ていました。

しかし、アメリカ国内に目を向けると 1970年代から失業者がドンドン増え、失業率も 6%を超えて、
慢性化の状態。 厳しいインフレに突入しました。

クレジット・カードの利子が年利 22パーセントを超え、住宅ローンの金利も 14パーセントに達した程です。

不景気で、何時解雇される身であったとしても、一度得た生活水準を大幅に下げるのは大変に
難しいもの。

サーモスタットの上げ下げから休暇旅行迄、ギリギリの状態になっても考え方を変えない人が結構多いのです。

他の人、他の国の(低い)生活水準等、知りたくもないというのが殆どですから、40年代後半から、
50年代に産まれた世代は贅沢が当り前、それが当然自然で、自分の物差しでしか見れなくなっているのです。

(その反面、ヒッピー文化に共鳴し、金に囚われず、自然を愛そうという考え方を持った人達も沢山いますが)。

日本でも親が子供に何でも買い与え、挙句の果てに、干渉もできなくなってきているようですね。

干渉しないというのと干渉出来ないというのは、大した違いです。

景気の不調が長引いたりすると、社会的な問題が起きるでしょう。

その時の社会情勢に順応できる考え方になりたいものです。