1974−1981
(写真の上をクリックすると大きい写真になります。詳細情報はこのページの下)
@ エリー・ラッカワンナ鉄道 電動制御車 No.3519 A エリー・ラッカワンナ鉄道 U34CH 3376 B コン・レール SW1500 9536+9533
C MTA 5005 5034 D アムトラック ターボライナー
E F Gストラスバーグ鉄道 No.90
H I J ストラスバーグ鉄道 No.90
K L M ストラスバーグ鉄道 No.90
br clear="all">
@ エリー・ラッカワンナ鉄道 電動制御車 No.3519。 プルマン・カー・アンド・マニュファクチャリング社 1930年製造。 直流3000V。
連結面間距離: 約 2105cm。 各軸1台の直流1500V/255HPモーターを直列に接続。
1930年のデラウエア・ラッカワンナ・ウエスターン鉄道のホーボケン〜モンクレアー間電化に伴い運行開始。
当初のナンバーは2519。 その後、エリー・ラッカワンナ鉄道の3519となり、コン・レイル、ニュー・ジャージー州交通局と運営会社が
変わっても同じ番号を通した。 パンタグラフが大きいのは架線高が 7.2m と高い為(日本では6m)。
A エリー・ラッカワンナ鉄道 U34CH No. 3376
GE Transportation Systems によって ニュー・ジャージー州交通局用に1970〜1973年の間に33両製造された内の1両。
エリー・ラッカワンナ鉄道が運行していた。
運転室の付いた車両を最後尾(解結、併結をするので1両とは限らない)に連結したプルマン・スタンダード製の通勤用
客車列車をプッシュ・プルで運行(終端駅での騒音、排気の事があり、機関車は駅舎の反対側に連結される)。
3600HPで、GEの当時最大出力ディーゼル機関車 U36 の姉妹機。
客車用AC電流を発電する為に、ディーゼル・エンジンの回転軸にACアルタネーターを直結、通常は
1050 RPM の回転を 900 RPM 一定回転に押さえる事で出力が 3430HP となり、U34CH の形式となった。
C は3軸動台車、"H" は Head End Power から。 全長 20.5m。 GE FDL-16 16 シリンダー・エンジン
N ストラスバーグ鉄道 No.90 O ペンシルヴェニア州立交通博物館内部
P Q ペンシルヴェニア鉄道 DD1 電気機関車 No.3936 (4780+4781) R BEDT13 Reading B4a saddle tank1251 P C4756
SPC607 21 NKP 2-8-4 22 PC M1b 4-8-2 6755
@ エリー・ラッカワンナ鉄道 電動制御車 No.3519。 プルマン・カー・アンド・マニュファクチャリング社 1930年製造。 直流3000V。
連結面間距離: 約 2105cm。 各軸1台の直流1500V/255HPモーターを直列に接続。
1930年のデラウエア・ラッカワンナ・ウエスターン鉄道のホーボケン〜モンクレアー間電化に伴い運行開始。
当初のナンバーは2519。 その後、エリー・ラッカワンナ鉄道の3519となり、コン・レイル、ニュー・ジャージー州交通局と運営会社が
変わっても同じ番号を通した。 パンタグラフが大きいのは架線高が 7.2m と高い為(日本では6m)。
A エリー・ラッカワンナ鉄道 U34CH No. 3376
GE Transportation Systems によって ニュー・ジャージー州交通局用に1970〜1973年の間に33両製造された内の1両。
エリー・ラッカワンナ鉄道が運行していた。
運転室の付いた車両を最後尾(解結、併結をするので1両とは限らない)に連結したプルマン・スタンダード製の通勤用
客車列車をプッシュ・プルで運行(終端駅での騒音、排気の事があり、機関車は駅舎の反対側に連結される)。
3600HPで、GEの当時最大出力ディーゼル機関車 U36 の姉妹機。
客車用AC電流を発電する為に、ディーゼル・エンジンの回転軸にACアルタネーターを直結、通常は
1050 RPM の回転を 900 RPM 一定回転に押さえる事で出力が 3430HP となり、U34CH の形式となった。
C は3軸動台車、"H" は Head End Power から。 全長 20.5m。 GE FDL-16 16 シリンダー・エンジン
B コン・レール SW1500 ディーゼル機関車 9536+9533 まだペン・セントラルの塗装のまま。
GM Electro-Motive Division (EMD)製 B-B。 1966〜1974 に808 両製造された。
全長: 13.61m 全巾: 3.05m 全高: 4.57m 車輪径 102cm。 機関車重量 112491 kg。
V12 12-645E エンジン。 シリンダーサイズ: 230.2 × 254.0mm。 1500HP/1120 KW。
主発電機: D32。 モーター: D77 又は 78DC 4基。 歯車比: 62:15
NH 鉄道の主要線はニュー・ヨーク〜ボストン間であり、1907年にグランド・セントラル・ターミナル〜スタンフォード間が電化されたが、
深く掘り下げる必要のない地下2階建ての複雑な線路構成に架線を張り巡る事の問題等で、ブロンクス区迄は第3軌条集電方式となった
(構内には第3軌条の長いギャップを避ける為に剛体架線区間もあった。現在は使われていない)。
NH鉄道の線路はイースト・リヴァーを横断後 NYCと分かれ、交流1万1000V 25Hz の架線集電方式に変わる。
スタンフォード〜ニュー・へィヴン間は1914年に電化。
従って、ニュー・ヨーク〜ボストン間の列車はニュー・ヘィヴンで 2電源電機とディーゼル機関車で交換をしていた(1955年に10両製造された
EP-5 形という優秀な電機があった)が、NHは1920年代から経営不振で、ディーゼル区間の旧式の機関車を淘汰するにも問題があり、
EMDがNHに直通運転可能な機関車製造の話をを持ちかけ、 FL9 が誕生した。
NHとしては通勤範囲のスタンフォード迄電化を残し、その先の架線は外して通勤電車以外の運行全てを FL9に委ねる考えがあり、
もう60両の増備も予定していたようだが、(1両の EP-5を FL9 に取り替えると、牽引力の点から 3両の FL9 が必要だったにしても)
最終的にはペンシルヴェニア鉄道との合併により取り止めになったようだ。 列車本数が少なくなった事もある。
(何故か北陸本線を思い出す。 コストの面でJR西日本内は全て直流に変換する考えもあるとか)
ペン・セントラル成立後には旧ペンシルヴェニア鉄道の GG1 電気機関車もイースト・リヴァー・トンネルを通り、
クイーンズ区からブロンクスに抜ける架線電化区間を利用して入って来るよう になった。
1971年のアムトラック成立後にはニュー・ヨーク〜ボストン間旅客列車はペンステーション発着となり、本数が減った事もあり、
FL9の使用は減った。 余剰になった FL9 は、旧 NYC のハドソン線(G.C.T.から第3軌条電化されていた近郊通勤区間のクロトン・ハーモン、
その北の郊外通勤区間のプーキープシー、最終的には州都アルバニー、シカゴ方面に向かう)のクロトン・ハーモンでの機関車交換の廃止、
ハーレム線のノース・ホワイトプレインズ(ここ迄第3軌条電化)以北への直通運転を行う為に移動した。
1974年にはアムトラックも G.C.T. 発着の旅客列車牽引を FL9 に変更。この時点での所属会社はアムトラックとコン・レール。
写真の2両はMTA (メトロポリタン・トランシット・オーソリティー)でコン・レール所属。
上り列車の場合、125ストリート駅を出て、パーク・アヴェニュー地下に入る際、法規でエンジンを切る事になっているが、
電気関係の不調で煙を吐きながら入って行くのを何回か見かけた。パーク・アヴェニュー下はトンネルではないので、
鉄格子の下から煙が出てきたり、GCTの側では、ゴンゴンゴンと音を出している機関車を地上から見る事も出来た。
ここで EMDの 旅客用ディーゼル機関車の1960年代前半迄の歴史を簡単に説明すると;
本格的な機関車は、1938年の EA, EB(ブースター、運転室無)から始まった。
12シリンダー、900HPの201-A エンジンを2台搭載。突き出たボンネットが特徴。
E3A、B 〜 E6A、B は1000HPの567エンジン2台搭載。 E7A、B は567A エンジン2台。 E7Aは1945〜1949年に428両、B は82両製造。
E7から、短く上前端からスカート迄の角度が緩くなったボンネットとなる(上の写真と同じ)。
E8A、B は1125HPの567Bエンジン2台搭載。 E8Aは1949〜1953年に418両、B は39両製造。 E9、B 1200HP 567Cエンジン2台搭載。
1954〜1963年に 100両の E9A と44両の B ユニットが製造された。 この間、エンジン1台の F タイプ (FP "P"は旅客) も製造された。
FP7 (ブースター製作無、形式に A は付かない)1500HP 16シリンダー 567Bエンジン1台。 1949〜1953年に376両製造。
FP9 1750HP 16シリンダー 567Cエンジン 1954〜1959年に79両製造(全てカナダ、メキシコ用)。
旅客用は A1A-A1A で、E7A〜E9A は 全長約 21.75m。 巾約 3.15m。 貨物用 F7A〜F9A は B-B で全長約 14.44m。
FP9 はF 機に暖房用蒸気発生器を搭載する為に 全長約 16.66m に伸ばされ、 FL9 は、FP9 をベースに 1.2m 伸びているが、 E 機よりも短い。
SW は入換機(スイッチャー)の略。 新エンジンが開発された際、スイッチャーとしては SW1000, 1200、1500 の3機種が製造された。
C MTA FL9 ディーゼル/電気両用機関車 No. 5005+5034 NH2003(567Cエンジン、1750 HP )+NH2034(567D1、1800 HP)
GM EMD により1956〜1960年の間に、ニュー・ヨーク、ニュー・ヘイヴン アンド ハートフォード鉄道(NH)の電化/非電化区間
直通用機関車として60両製造された B-A1A の機関車。
全長約 17.98m。 機関車重量約 130トン。 電機運転の場合: 直流 660V 第3軌条集電。
最初の30両はグランド・セントラル・ターミナル構内運転用に小さなパンタグタフが付いていた(後程取り外された)。
エンジン: EMD 567C (2000〜2029) 1750 HP/1300 KW。 EMD 567D1 (2030〜2059) 1800 HP/1300 KW。 2行程 V16。
シリンダー: 215.9 × 254.0mm。 直流発電機/直流モーター。 最高速度: 143 km/時。
GM EMD により1956〜1960年の間に、ニュー・ヨーク、ニュー・ヘイヴン アンド ハートフォード鉄道(NH)の電化/非電化区間
直通用機関車として60両製造された B-A1A の機関車。
全長約 17.98m。 機関車重量約 130トン。 電機運転の場合: 直流 660V 第3軌条集電。
最初の30両はグランド・セントラル・ターミナル構内運転用に小さなパンタグタフが付いていた(後程取り外された)。
エンジン: EMD 567C (2000〜2029) 1750 HP/1300 KW。 EMD 567D1 (2030〜2059) 1800 HP/1300 KW。 2行程 V16。
シリンダー: 215.9 × 254.0mm。 直流発電機/直流モーター。 最高速度: 143 km/時。
NH 鉄道の主要線はニュー・ヨーク〜ボストン間であり、1907年にグランド・セントラル・ターミナル〜スタンフォード間が電化されたが、
深く掘り下げる必要のない地下2階建ての複雑な線路構成に架線を張り巡る事の問題等で、ブロンクス区迄は第3軌条集電方式となった
(構内には第3軌条の長いギャップを避ける為に剛体架線区間もあった。現在は使われていない)。
NH鉄道の線路はイースト・リヴァーを横断後 NYCと分かれ、交流1万1000V 25Hz の架線集電方式に変わる。
スタンフォード〜ニュー・へィヴン間は1914年に電化。
従って、ニュー・ヨーク〜ボストン間の列車はニュー・ヘィヴンで 2電源電機とディーゼル機関車で交換をしていた(1955年に10両製造された
EP-5 形という優秀な電機があった)が、NHは1920年代から経営不振で、ディーゼル区間の旧式の機関車を淘汰するにも問題があり、
EMDがNHに直通運転可能な機関車製造の話をを持ちかけ、 FL9 が誕生した。
NHとしては通勤範囲のスタンフォード迄電化を残し、その先の架線は外して通勤電車以外の運行全てを FL9に委ねる考えがあり、
もう60両の増備も予定していたようだが、(1両の EP-5を FL9 に取り替えると、牽引力の点から 3両の FL9 が必要だったにしても)
最終的にはペンシルヴェニア鉄道との合併により取り止めになったようだ。 列車本数が少なくなった事もある。
(何故か北陸本線を思い出す。 コストの面でJR西日本内は全て直流に変換する考えもあるとか)
ペン・セントラル成立後には旧ペンシルヴェニア鉄道の GG1 電気機関車もイースト・リヴァー・トンネルを通り、
クイーンズ区からブロンクスに抜ける架線電化区間を利用して入って来るよう になった。
1971年のアムトラック成立後にはニュー・ヨーク〜ボストン間旅客列車はペンステーション発着となり、本数が減った事もあり、
FL9の使用は減った。 余剰になった FL9 は、旧 NYC のハドソン線(G.C.T.から第3軌条電化されていた近郊通勤区間のクロトン・ハーモン、
その北の郊外通勤区間のプーキープシー、最終的には州都アルバニー、シカゴ方面に向かう)のクロトン・ハーモンでの機関車交換の廃止、
ハーレム線のノース・ホワイトプレインズ(ここ迄第3軌条電化)以北への直通運転を行う為に移動した。
1974年にはアムトラックも G.C.T. 発着の旅客列車牽引を FL9 に変更。この時点での所属会社はアムトラックとコン・レール。
写真の2両はMTA (メトロポリタン・トランシット・オーソリティー)でコン・レール所属。
上り列車の場合、125ストリート駅を出て、パーク・アヴェニュー地下に入る際、法規でエンジンを切る事になっているが、
電気関係の不調で煙を吐きながら入って行くのを何回か見かけた。パーク・アヴェニュー下はトンネルではないので、
鉄格子の下から煙が出てきたり、GCTの側では、ゴンゴンゴンと音を出している機関車を地上から見る事も出来た。
ここで EMDの 旅客用ディーゼル機関車の1960年代前半迄の歴史を簡単に説明すると;
本格的な機関車は、1938年の EA, EB(ブースター、運転室無)から始まった。
12シリンダー、900HPの201-A エンジンを2台搭載。突き出たボンネットが特徴。
E3A、B 〜 E6A、B は1000HPの567エンジン2台搭載。 E7A、B は567A エンジン2台。 E7Aは1945〜1949年に428両、B は82両製造。
E7から、短く上前端からスカート迄の角度が緩くなったボンネットとなる(上の写真と同じ)。
E8A、B は1125HPの567Bエンジン2台搭載。 E8Aは1949〜1953年に418両、B は39両製造。 E9、B 1200HP 567Cエンジン2台搭載。
1954〜1963年に 100両の E9A と44両の B ユニットが製造された。 この間、エンジン1台の F タイプ (FP "P"は旅客) も製造された。
FP7 (ブースター製作無、形式に A は付かない)1500HP 16シリンダー 567Bエンジン1台。 1949〜1953年に376両製造。
FP9 1750HP 16シリンダー 567Cエンジン 1954〜1959年に79両製造(全てカナダ、メキシコ用)。
旅客用は A1A-A1A で、E7A〜E9A は 全長約 21.75m。 巾約 3.15m。 貨物用 F7A〜F9A は B-B で全長約 14.44m。
FP9 はF 機に暖房用蒸気発生器を搭載する為に 全長約 16.66m に伸ばされ、 FL9 は、FP9 をベースに 1.2m 伸びているが、 E 機よりも短い。
D アムトラック ターボライナー 仏のライセンスで米国内製造された編成。
仏国鉄の都市間用列車として1967年に試験用のTGSが作られ1971年に252km/時の記録を作った。
タービンとディーゼルエンジンを1づつ搭載した4車体の第1次営業車(ETG)が1971年にパリ〜シェルブール間で営業運転開始。
5車体で820KW タービン2基2を搭載し液体変速機式の第2次営業車(RTG T2000RTG)が1973年から営業運転開始。
この第2次車の2編成をアムトラックがリースし、シカゴ〜セント・ルイス間で試用し、ある程度の成績を残した為に、もう 4編成と共に購入。
最低限のアメリカ仕様を施し1973年から営業運行を開始した。 動力車2両、付随車2両とバー/グリル車1両の5両編成。
タービンとディーゼルエンジンを1づつ搭載した4車体の第1次営業車(ETG)が1971年にパリ〜シェルブール間で営業運転開始。
5車体で820KW タービン2基2を搭載し液体変速機式の第2次営業車(RTG T2000RTG)が1973年から営業運転開始。
この第2次車の2編成をアムトラックがリースし、シカゴ〜セント・ルイス間で試用し、ある程度の成績を残した為に、もう 4編成と共に購入。
最低限のアメリカ仕様を施し1973年から営業運行を開始した。 動力車2両、付随車2両とバー/グリル車1両の5両編成。
オイル・ショックの際には強力で燃料消費量の少ないエンジンに交換し、エンジン1基で走行可能となった。
2編成に第3軌条集電シューを取り付け、前頭部を Rohr 式に改造された RTG II がニュー・ヨーク運行に使用された。
その後ペン・ステーションで火災を起こし、RTG II 2編成は廃車処分となり、2000年迄には全てが運行休止となった。
2編成に第3軌条集電シューを取り付け、前頭部を Rohr 式に改造された RTG II がニュー・ヨーク運行に使用された。
その後ペン・ステーションで火災を起こし、RTG II 2編成は廃車処分となり、2000年迄には全てが運行休止となった。
政府援助で成り立っているアムトラックが輸入車両を使用しているという批判を避ける為、アメリカのロー(Rohr)・インダストリーが
ライセンス製造出来るように手配、7編成を購入し(RTL)、ニュー・ヨーク州サービスを開始した。
この内1編成が新エンジンと制御装置に交換され RTL II となった。 この更新は成功とされ、残り6編成も改造される筈だったが中止。
この1編成は2002年迄運用された。
2000年にロー の編成がスーパー・スティール・スケネクタディ社に送られ、RTL III に改造される筈だったが、3編成で中止となった。
試作編成は2003年2月に 201km/時を記録し、4月から2編成で営業運転を開始し(テスト走行中を見たが、塗装も精悍になり期待した)、
第3編成も9月には完成したが、全て運行中止となった。
ライセンス製造出来るように手配、7編成を購入し(RTL)、ニュー・ヨーク州サービスを開始した。
この内1編成が新エンジンと制御装置に交換され RTL II となった。 この更新は成功とされ、残り6編成も改造される筈だったが中止。
この1編成は2002年迄運用された。
2000年にロー の編成がスーパー・スティール・スケネクタディ社に送られ、RTL III に改造される筈だったが、3編成で中止となった。
試作編成は2003年2月に 201km/時を記録し、4月から2編成で営業運転を開始し(テスト走行中を見たが、塗装も精悍になり期待した)、
第3編成も9月には完成したが、全て運行中止となった。
RTL III は、メトロライナーからのモーターを再使用し、第3軌条区間ではモーター走行を可能にした
(記憶では他にもかなりの改造が施された)。
運行中止の理由は簡単に書くと、線路を保有するニュー・ヨーク州が高速営業運転 (ターボ以外に、シカゴ、カナダとの間を運行する
客車列車も州都アルバニーとニュー・ヨーク市の間を走行する)をアムトラックに要請していたが、進まない為にアムトラックを訴えた。
(記憶では他にもかなりの改造が施された)。
運行中止の理由は簡単に書くと、線路を保有するニュー・ヨーク州が高速営業運転 (ターボ以外に、シカゴ、カナダとの間を運行する
客車列車も州都アルバニーとニュー・ヨーク市の間を走行する)をアムトラックに要請していたが、進まない為にアムトラックを訴えた。
E〜N ストラスバーグ鉄道 No.90 ボールドウイン機関車製造 1924年製 2-10-0
コロラド州のグレート・ウエスターン鉄道の為に作られた。 ストラスバーグ鉄道が1968年に購入。
機関車全重量 96t 動輪上重量 86t 動輪径 1400 cm 軸重 17t 缶圧 13kg/cm 火室面積 5.04 m 引張力 6508 kg/m。
ストラスバーグ鉄道
フィラデルフィアから西に約100km。 約7kmの区間を往復45分で蒸気機関車運転を行っている。
アムトラックとの接続線があり、下記の州立交通博物館とは隣通し。
ユニオン・パシフィック鉄道等の1級鉄道で機関車を動態保存しているのを除くと、動態保存蒸気機関車の所有/復元/管理では
全米で一番古いと思います。 ここの小さな工場はオヴァーホールは勿論の事、パーツ迄複製する能力を所有しており、
アムトラックとの接続線があり、下記の州立交通博物館とは隣通し。
ユニオン・パシフィック鉄道等の1級鉄道で機関車を動態保存しているのを除くと、動態保存蒸気機関車の所有/復元/管理では
全米で一番古いと思います。 ここの小さな工場はオヴァーホールは勿論の事、パーツ迄複製する能力を所有しており、
全米で修理機能を持ち合わせていない動態保存機関車所有会社は、ここに機関車を送っていますし、保存に対する相談にも対応しています。
1832年にストラスバーグ鉄道の設立申請 1835年に敷設開始。 1837年運行開始。 1851年の蒸気機関車購入迄、馬車鉄道として運行。
何回か所有者が変わり、1908年には競合する市外電車が運行開始。最終的に軌道の老朽化、台風の影響、
ディーゼル機関車の運転休命令等で廃線の申請が1958年に提出された。
鉄道ファンのヘンリー・ロング氏が ノン・プロフィット・グループを設立、寄付金等を集め、1万8000ドルで購入に成功。
同年中に沿線唯一の製粉所への貨車の運行が始まった。 1959年1月には観光客用のサービスを始め、
ディーゼル機関車の運転休命令等で廃線の申請が1958年に提出された。
鉄道ファンのヘンリー・ロング氏が ノン・プロフィット・グループを設立、寄付金等を集め、1万8000ドルで購入に成功。
同年中に沿線唯一の製粉所への貨車の運行が始まった。 1959年1月には観光客用のサービスを始め、
1960年からは蒸機での運行を開始。 現在、継続して運行されてきた鉄道会社としては最古。
現時点で、4-4-0、0-6-0T(機関車トーマスに改造されている)、 0-4-0、0-6-0、2-6-0、2-10-0、 4-8-0、 4-6-0 が動態保存。
蒸機以外では、 プリマス1923年製 No.1 (1両のみストラスバーグ鉄道用に作られた内燃機関車。 1923年から保有。
この機関車の運行中止命令により廃線申請が提出された。 プリマスは産業用小型機で有名だった。)。
この機関車の運行中止命令により廃線申請が提出された。 プリマスは産業用小型機で有名だった。)。
No.10 プリマス1910年製 1984年に導入。 No.10 サンダース機械工場1885年製 レール・カー。 1962年に導入。
No.8618 EMD 1953年製 SW8 スイッチャー 。 2009年に導入。 NYCで使用されていた。
No.9331 GE 1948年製 44トン ディーゼル入換機 1961年に導入。 旧ペンシルヴェニア鉄道所属。
O ペンシルヴェニア州立交通博物館内部
ペンシルヴェニア鉄道は自社の歴史的に著名な蒸気機関車をペンシルヴェニア州内に保存していたが、
ペン・セントラル鉄道に統合される際にコスト削減の理由でそれらの処分を決定、ペンシルヴェニア州と関連のある鉄道車両を保存する
博物館を計画していたペンシルヴェニア譲り、何回かに分けてストラスバーグに搬入した。
博物館は1975年にレディング鉄道の可動のターンテーブルを含め開館。
ペン・セントラル鉄道に統合される際にコスト削減の理由でそれらの処分を決定、ペンシルヴェニア州と関連のある鉄道車両を保存する
博物館を計画していたペンシルヴェニア譲り、何回かに分けてストラスバーグに搬入した。
博物館は1975年にレディング鉄道の可動のターンテーブルを含め開館。
1995年には新館も増築され、野ざらしになっていた機関車の多くも室内展示となった。
この写真を撮った時点では復元作業を待つ相当数の機関車が錆を浮き出して屋外展示されていた。
どうなるのかと気になったが、技術的遺産を残そうとする風潮が以前よりも強まり、現在の財政状態では予算の心配はあるが、
個人で車両を寄付する人達もいる等、保存状態は良くなったようで、将来も楽観的と見ている
この写真を撮った時点では復元作業を待つ相当数の機関車が錆を浮き出して屋外展示されていた。
どうなるのかと気になったが、技術的遺産を残そうとする風潮が以前よりも強まり、現在の財政状態では予算の心配はあるが、
個人で車両を寄付する人達もいる等、保存状態は良くなったようで、将来も楽観的と見ている
コレクションはペンシルヴェニア鉄道に興味が無い人には偏っていると思われてしまうが、吸収され消滅した他の東海岸の鉄道会社や
アムトラック、コン・レール等の車両も入っている。 機関車以外の車両を含め、100両以上所蔵との事。
アムトラック、コン・レール等の車両も入っている。 機関車以外の車両を含め、100両以上所蔵との事。
館内ではシュミレータでの模擬運転や、復元作業がモニターで見れるようになっている。
P Q ペンシルヴェニア鉄道 電気機関車 DD1 No. 4780+4781 自社アルトゥーナ工場で1911年に製造。 2-B+B-2
DD1 はハドソン河トンネル運行用に1910年に開発されたが、1924年にはヤード運転等に回された。
機関車番号は製造当初の番号で、後に 3936 と 3937 に改番された(本来の番号は EZN36 の 3936 と 3937。 EZN は電化区間番号の
略で、旧国鉄の EH10 の様な2両永久連結の為、36でも通じた)。 36 は1979年にペン・セントラル鉄道からペンシルヴェニア交通博物館に
寄贈され、同年、国の歴史物登録をされた (National Register of Historic Places) 。
全長約 19.79m 全巾約 3.2m 動輪径約 180cm 機関車重量約 142t
直流 650V 連続出力 3160 HP 最高速度 130km/時。
当時は大出力モーターは大き過ぎ(1基21トン)台車内に装荷できず、車体枠に取り付けられたモーターからシャフトを使い1軸を駆動、
2軸目にはサイド・ロッドで連結(アプト式 EC40 を想像して下さい)。 上の寸法、出力等はペアでの数字です。
R 左: BEDT No.13 BEDT は Brooklyn Eastern District Terminal の略ですが、ニュー・ヨーク市ブルックリン区の港湾鉄道位しか 判りません。
ボイラーが隠れる程、背の高い水タンクを装備しています。
中: レディング鉄道 B4a サドル・タンク蒸気機関車 No.1251
1918年にレディング鉄道工場で製造された。 タンク機関車の場合、通常はボイラー両脇に箱型の水タンクが固定されている
(サイド・タン ク)が、サドル・タンク機の場合、断面が馬蹄形磁石の形をした水タンクがボイラー上に乗っている。
(サイド・タン ク)が、サドル・タンク機の場合、断面が馬蹄形磁石の形をした水タンクがボイラー上に乗っている。
右: ペンシルヴェニア鉄道の入換用電気機関車 B1。 自社アルトゥーナ工場製。 1926〜1935年。
ウエスティングハウスとアリス・チャルマーとの3社共同制作による。 B1 形式は少々ややこしい経歴を持っている。
試作車2両は、 交流 1万1000V/25hz の2両連結の交流機として製作され形式 BB1 となった。
続けて製造された12両は 650V 直流機として製造 され BB2 として、ペン・ステーションや客車ヤードで 2両連結の入換機として使用された。
(ハドソン河のトンネルも当初は第3軌条集電)。
次の14両はロング・アイランド鉄道の貨物電化区間用として交流機として製造され、これも2両編成で運用された。 形式はBB3。
試作車2両は、 交流 1万1000V/25hz の2両連結の交流機として製作され形式 BB1 となった。
続けて製造された12両は 650V 直流機として製造 され BB2 として、ペン・ステーションや客車ヤードで 2両連結の入換機として使用された。
(ハドソン河のトンネルも当初は第3軌条集電)。
次の14両はロング・アイランド鉄道の貨物電化区間用として交流機として製造され、これも2両編成で運用された。 形式はBB3。
その後1934年に単機として運用するB1が交流機として14両製造された。
第3軌条集電が終了した為、最初の28両も単機運用になり、直流機は交流機に改造、全て形式 B1 に編入された。
全長 9.6m 動輪直径 157.5 cm 機関車重量 71t
第3軌条集電が終了した為、最初の28両も単機運用になり、直流機は交流機に改造、全て形式 B1 に編入された。
全長 9.6m 動輪直径 157.5 cm 機関車重量 71t
直流は抵抗器制御、 交流は変圧器のタップ制御。 174kw/233HP 交直両用モーター3基装備。 40km/時 引張力 5322 kg/m。
この写真の機関車は1934〜1935年の間に製造された14両の内の1両。
最初のナンバーは 5690 だったが、合併後の ペン・セントラル鉄道で改番され、No.4756 となった。
最初のナンバーは 5690 だったが、合併後の ペン・セントラル鉄道で改番され、No.4756 となった。
S PC No. 607 ペン・セントラルのロゴが入ってますが、詳細不明。
21 NKP No. 757 2-8-4 形式 S-2 ライマ機関車製造(Lima Locomotive Works)が1944年に30両製造
NKP の正式名は、ニュー・ヨーク、シカゴ アンド セント・ルイス鉄道 (NKP 又はニッケル・プレートの愛称がある)
全長約 30.3m 動輪径約 175cm シリンダー 63.5 x 86.4cm ボイラー圧約 17kg/cm2
機関車重量約 202t 動輪上重量約 121t 牽引力 8697kg/m
22 PC M1b No.6755 4-8-2 マウンテン形式。
1923年にペンシルヴェニア鉄道のアルトゥーナ工場で試作機1両が M1 として製造され、3年間試用された後、175両がボールドウイン、
25両がライマ機関車製造に発注された。 客貨両用として計画されたが、主に、高速重量貨物列車に使用された。
1930年には100両が M1a として追加発注された。 改良点としては、シリンダー・ブロックとボイラー台が一体鋳造された。
ウオーシントン給水暖め器が設置された、空気圧縮機が1基から2基に増設された。炭水車が大型になった事等。
M1a は M1 より旅客列車を牽引するとされていたが、電化工事が進捗し、4−6−2 パシフィック形式が余剰となった為、
これ又、殆どが貨物列車使用となった。 38両が後程 M1b に改造された。
改良点は、アーチ管設置、缶圧を 約 17 kg/cm2 から 約 18.5 kg/cm2に上昇した事。
これにより牽引力が M1a の 8927kg/m から 9640kg/m に向上した。
全ての機関車のテンダーには、走行中に線路間に作られたプールから水を取り込む可動式スクープが設置されている
(旧国鉄でも試験された。 ある程度の速度でスクープを下げると炭水車内の水の重量よりも大きな圧力で水が取り込まれる)。
又、貨物列車に必要なブレーキ係 (列車の監視、ポイントの切換、貨車の解、連結等をした)を収容する箱
(ドッグ・ハウスと呼ばれた)が後程設置された。
ディーゼル機関車の増備が進み、高速貨物列車の運用に就き始めると、以前よりも重い貨物列車運用に回され、
1975年に最終機が廃される迄活躍した。 No.6755 は1979年に国の歴史物登録に載った (National Register of Historic Places)。
動輪径約 183cm。 機関車重量約 175t。 シリンダー 686 × 762 mm