1983〜1986

(写真上をクリックすると大きな写真になります)

             
 @ アムトラック FL9 No.487         A 旧 NHの電車とコン・レールの車掌車    B Aと同じ電車。ABCはクロトン・ハーモン駅構内

                     
    C No.5699       B23-7  No.1908            D FL9  No.487        E 右端に見えるのは F40PH No.747(?)

           
   F〜H ワシントン・ユニオン・ステーション

      
              タレイタウン駅を通過する下りアムトラック ターボライナー I No.162         J No.157

           
K L AEM/EMD製電気機関車 No.917 No.930、 アムコーチ、 NJT 通勤用客車 No.5143   M NJT 1503、?、1496、アムトラックの貨物車

         
                   N ユニオン・パシフィック鉄道 ビック・ボーイ。 後(火室側)の走り装置 O 前(煙室側)の走り装置

@ アムトラック FL9 No.487  タレイタウン駅を通過する早朝下り列車。(2月)
    コン・レールに引き継がれたFL9の内12両が1976年にアムトラックに売られた。
    1978〜1980年に6両がモリソン・クヌッドセンで完全オヴァーホールされ、アムトラックの客車と同じ塗分けになったが、残りの6両は廃車。
    列車暖房は電気暖房となり、蒸気発生器は外された。
    牽引されているのはアムフリート客車群。老朽化した様々の私鉄からの車両の取替えの為に急遽製造された。
    ニュー・ヨーク〜ワシントン間のメトロライナーの設計を使った客車で、製造もバッド社。 

    製造当時には、アムコーチ(コーチ)、アムカフェ、アムダイネット(食堂車)、アムラウンジ、アムクラブ(ビジネス・クラス)の車種があった。
    アムフリート I : 1975〜1978年に コーチ 406両とカフェカー 86両が運用開始。 短距離用は84席。夜行が含まれる長距離用は60席だが、
    現在は84席コーチか、ビジネスクラス・カーに改造されている。

    アムフリート II : 長距離運行用に1981〜1986年に コーチ 125両とラウンジカー 25両が製造された。
    大きな窓で座席間も拡げ、出入り口扉は片側1ヶ所。
        登場時: アムカフェ; 車体中央にスナック・バーがあり、その両側に2+2の配置で座席53。
            アムダイネット; 2等車室(23座席)+スナック・バー+ダイニング室(テーブル8、座席32)
            アムクラブ; (基本的には)テーブル6かコーチ席32+スナック・バー+ビジネス・クラス 18席。>

    車体はスポット溶接されたステインレス鋼製。 荷重を考え車体の中央が上に反っているのがはっきり判る。
    台車はディスク・ブレーキが車輪外側についている東急車輛でお馴染みの標準軌用パイオニア III 台車。
    設計上では最高運転速度200km/時だが、近年高速走行時の問題が起き、最高速度は125km/時に抑えられている筈。
    米東部では、トンネル等、建築限界が米中西部より小さい、架線電化区間がある、と云う事で、改造/改良され現在でも使われている。
    西海岸では新製車が入り現在では使われていない。
    内部は座席、バッゲージ・ラックを含め、旅客航空機の内部を拡げた感じと言える。トイレは全車に設置。 冷暖房は機関車から供給される
    交流電源で行われている。
         全長: 25.5m  全巾: 3.15m  全高(レール面上から): 3.8m   自重: コーチ 約 53t   カフェ 約 50t

A B MTA  No.4419 旧ニュー・ヘィヴン鉄道所属 プルマン社製 交/直両用の電車としか判らない。
     交流1万1000V用のパンタグラフは外されており、660Vの直流第3軌条集電靴が見えるが、
    新形式の電車として1971年からハドソン線に M1 編成が、NH の電化区間には1973年からM2 編成が投入されており、
    何故ハドソン線で見られたのかは判らない。 トレインズ誌によると、クロトン以北に運用される通勤列車の機関車付け替えを省く為に
    (大変旧式な第3軌条集電の電機と旧式の客車を使用していた) FL9 が MU コーチを牽引した、と云う記述があるので
    (MTAのFL9 も完全オーヴァーホールされて、客車冷暖房用の交流電源を供給できるようになっていた)、
    一時的に電車/客車として運用されたのかもしれない。 一度、通勤時間帯に乗車した気がする(大変な驚きだったが)。
    右側に留置されているのは俗にペンシルヴェニア形式と云われるカブース(車掌車)。 ストーブ用の煙突が見える。

C Amtrak  No.5699    記録が見つかりません。 ニュー・ヨーク・セントラル鉄道の客車と思われますが。
  GE B23-7 No.1908   B23-7 については、1982 ページ参照の事。

     この写真手前にクロトン・ハーモン駅のプラットホームがあり、右(北側)にクロトン・ハーモン工場がある。 北側、すぐ先にクロトン・ノース駅
     があったが、見た感じでは駅間に昔、小さな操車場があったようだ。 当時は事故車両や廃車車両が留置されていた。

D FL9  No.487 (6月)
     プラットホーム嵩上げ工事中のクロトン・ハーモン駅で上り列車。 写真左上の建物が工場の一部。


E 同じ列車を最後尾から撮影。 右側に EMD の入換機に牽かれる M1 電車と F40PH ディーゼル機関車が見える。

F〜H ワシントン・ユニオン・ステーション  1976年に開業したワシントンD.C.の地下鉄駅。 1986年4月撮影
     車両は多分 ロー・インダストリー製(ターボトレインを製造した米会社)。

I J タレイタウン駅を通過する下りアムトラック ターボライナー I No.162 と J No.157   1986年5月撮影
         1974〜1981 のページを参照してください。

K L EMD AEM-7 No.917、No.930、アムコーチ と ニュー・ジャーシー州交通局 Comet II No.5143
    EMD AEM-7 1970年頃には長い間世界最高の電気機関車と謳われたGG1も、1943年に最後に製造されたものでも30年が経ち、
    後継車が必要となった。
    アムトラックは、GEが1972年から6両製造した E60C 機関車(交流5万V,60Hz)の成績を見て(石炭専用列車牽引用の機関車で
    高速運転はしていなかった)、蒸気発生器付の EC60CP 7両と電気暖房用のEC60PH 19両を1974〜1975年に購入。
    しかし3軸動輪台車による問題が起き (アムトラックが購入した3軸動輪台車の SDP40 が同じ頃に脱線事故を起こしていた)
    ワシントン〜ニュー・ヘィヴン間で最高速度が約144km/時に抑えられてしまった。
    この為、1977年に仏から CC21000 型を、スエーデン国鉄から Rc4 を借入、繰り返しの試験走行の結果、
    1977年に30両、1980年に17両を ASEA から米国内での生産ライセンスを得た EMDに発注した。
    車体はバッド社が製作、電気機器、台車等をスエーデン輸入し組み立て、1979年から営業運転を開始した。 1987年には 7両の追加発注。
        B-B。  交流1万1000V、25Hz(旧ペン・セントラル区間、現在1万2000V) / 11,000-13,500V AC 60 Hz
       (1万2000V, 60Hz ニュー・ヨーク〜ニュー・ヘィヴン間) / 25,000V AC 60 Hz(ニュー・ヘィヴン〜ボストン)。 
      全長約: 15.5m 機関車重量約: 92t  連続定格出力: 4300Kw  最大出力: 5200Kw  最高運転速度: 201km/時

      2009年からオヴァーホール/機器更新が始まっている。アルストムがACモーター、変圧器、列車電源装置等を供給、アムトラックの工場
      が更新作業を行っている。 形式は AEM-7AC となった。

    NJ Transit (ニュー・ジャーシー州交通局) 通勤用客車 Comet II No.5143
      1960年代にプルマン・スタンダード社で設計、製造された通勤用客車。コメットの名はNJTによって付けられた。プルマンの車両製造
      からの撤退後はボンバルディアとアルストムによって改良されながら製造され、米国の他地区でも使われている。電気暖房式。

      No.5143 は1982年にボンバルディアによって20両製造された運転室付車両(プッシュ・プルで運転)の1両。 コメット II シリーズは
       1999〜2003年にかけて Comet IV シリーズと同等になるオヴァーホールを受け、運転室横扉が無くなった(中央出入口)。

M 1503、?、 1496。  3編成共、NJ Transit のペン・ステーション〜トレントン間等に使われる Arrow III 型通勤電車。
      車体が バッド、電気関係が GE により製造された。 30両の単車で運行可能なトイレ無しの車両と、2両編成用の200両

      (トイレは奇数車のみ)が、 1977〜1978年に製造された。 1496も1503も2両編成用車両。 1992〜1995年にABBでオヴァーホールされた。中央乗降扉。
      (ABB Inc. は スエーデンの ASEA とアプト式電気機関車で日本にも知られているスイスのブラウン・ボバリが合併して出来た。その後、
      ダイムラー・ベンツの鉄道部門と統合、日本でも市街電車で知られているアドランツとなったが、2001年にボンバルディアに吸収された)

  アムトラックの貨物車。 情報が乏しく、前身が何かは判りませんが、写真から言えば貨物車でしょう。
      独立採算を目指す為に、或る時期、客車列車に荷物車/貨物車を連結し、高速貨物輸送を試みました(混合列車でーす)。
      台車やブレーキ・システムは高速運行用に改造されていたと記憶しています。区間によっては客車の数より長かった事もあるようです。
      トラック業界からの突き上げと、荷物/貨物車の連結/解放に時間がかかる等の理由で、この形の運行は現在行われていません。
       勿論、荷物車は現在も連結されており小荷物(チッキ)や普通荷物も業者を通して扱っているようです。
      アムトラックは、他の方法では難しい州を越えての遺体の運搬も行います(昔から暗殺/職務期間中に亡くなった政治家を長距離の場合、
      運搬してきたと云う事が関係あるのかもしれません)。 昔の鉄道は日本と同じ様に郵便物も取り扱っていましたが。

N O  ユニオン・パシフィック鉄道 ビック・ボーイ
      ベロウズ・フォールズのスティーム・タウン・USA が、ペンシルヴェニア州スクラントン市に引越後、倒産。現在はスティームタウン・
      ナショナル・ヒストリック・サイトとなり、国立公園課が管理している。 信じられなかったが、動輪直径はC62より少し小さい。