1987〜1988年(写真上をクリックすると大きな写真になります)

           
 @ バルティモア鉄道博物館内部             A T-1 型  No.2101                 B C GG1 No4890

           
 C                           D ウエスターン・メリーランド鉄道 F7 No.236        E B&O  No.5300

     
                           F G  C&O  No.490  


     
     H I ブルー・マウンテン・アンド・レディング鉄道 G-1 型 No.425 ボールドウイン 1928年製。  1988年撮影


@ バルティモア B&O 鉄道博物館 館内。 

   円形の建物(実際には、下部は多面体からなり、中心に向かって絞られた大屋根の上部に、改造されている東京駅の屋根の様な、明り取りの
   ガラス窓がはめ込まれた葱坊主のような塔が建つ。 帯広の八角形をした双葉幼稚園をご存知の方には判り易いと思う。米国ではある時期に
   8面体の建築物が流行った---オクタゴン・ハウス)。 建物中央に線路が1本敷設された丸い板があり、板から放射状に線路が設置されて
   いるので、昔からターンテーブルはあったと思われるが、ここは昔、客車用の施設で、機関車庫ではなかった。  
   バルティモア・アンド・オハイオ鉄道 (B&O) は、1829年に開業したアメリカ最初の商業鉄道として、
   又、最初の駅を建設した事で知られている。
   歴史があるという事から、重要な機関車は会社によって保存されてきた。
   1953年の米独立記念日に使用されなくなった施設を利用し、 B&O 交通博物館を 開設。 その後、鉄道会社から建物を含め、全てが寄贈され
   独立している。 B&O, C&O (チェザピーク・アンド・オハイオ鉄道)、ウエスターン・メリーランド鉄道を主に東部海岸一帯の鉄道車両、資料等を
   展示、修復をしている。 2003年2月の大雪で、建物の屋根が崩落、機関車にも被害が出た。
    創成期のレプリカや実物を含め機関車28両、客車11両等が保存されている。 修復を待つ為、未公開となっているものもある。

写真左: グリーンブリア・チート・アンド・エルク鉄道 (GC&E) 70-3型 No.1  ライマ機関車製造社 1905年製。 3シリンダーのシェイ・タイプ。
     19080年に所蔵。  機関車重量: 70t 動輪直径約: 90cm  シリンダー約: 30.5X38cm 3基  引張力約: 14982kg
       山間地帯で木材を運ぶ為に設計された機関車。運転室前ボイラー横に3基のシリンダーが下向きに取り付けられ、
       下向きのクランクシャフトが横軸を回転し、煙室下、運転室後部、炭水車下の3組の台車外側に取り付けられた傘歯歯車に
       自在継ぎ手を介して、2軸づつ6動軸を駆動する。 B-B-B の配置と言える。
       速度は出ないが、固定軸距が短いので急曲線/勾配が殆どの山岳地帯で威力を発揮し、2700両程製造された。

右隣: セントラル・レ−ルロード・オブ・ニュー・ジャーシー (CNJ ) No. 592    1901年アメリカン・ロコモーティヴ社(アルコ)製。 
        4-4-2  アトランティック・タイプ   キャメルバック    ウーテン(ウッテン)式ボイラー
        機関車重量製造時約: 95.5t、 108t (1919年)    動輪直径製造時約: 216cm、 200.5cm (1913)
        シリンダー製造時約: 52X 66cm、 56X 66 (1913)   引張力製造時約: 10417kg、 12909kg (1913)

      キャメルバック、ウーテン(ウッテン)式と、外観の説明が大変に難しいタイプの機関車。
      ウーテン式ボイラーは、交友社発行の吉田富美夫、大竹常松両氏の共著による「最新蒸気機関車工学」によると、
      ”この火室は無煙炭を燃料としている米国で採用されている形式で、火格子面積を広くする割合に内火室天井板の高さが低いので、
      揮発分の少ない石炭を使用するのに都合よくできている。” (原文のまま)とある。
      米国中東部は瀝青炭の炭鉱が多く、レディング(Reading)鉄道のジョン・ウーテン(Wooten)氏が屑の瀝青炭を燃やす為の
      大きなボイラーを1877年に開発した。
      一般的な運転室後部の機関車にすると前方の見渡しが悪い為、ボイラーを跨ぐ形で運転室を設置した(キャメルバック式)。
      No.592 では、小さな車輪の2軸先台車の後に大きな動輪が2軸、その第一動輪上に運転室がボイラーを跨ぐ様に設置され、
      火室は第2動輪後から大き目の従輪後部迄ボイラーと共に伸びている(火室部の巾は、その上の段付きボイラーを含め、
      運転室の巾と同じ位)。ボイラー最後部の上部には炭水車手前迄張り出した屋根があるが、左右は剥き出しで、
      火夫はここで石炭をくべていた。 運転室と投炭所の間には脱落防止用の手すりの付いた細い歩み板が渡されている。
      エアー・タンクも運転室の後にある蒸気ドーム(写真では管が見えないので砂ドームではないと思います)の後から後部屋根の前迄、
      長いものが設置されている。
      空気圧縮機は運転室進行方向左前のボイラーに設置。 博物館所蔵の写真では投炭室から体をのりだしている火夫が見える。
      走行水を掬い上げる装置も装備されている。 145km/時で走行可能で近距離の急行運転に使用された。
      キャメルバックは乗務員を危険に晒すとし、連邦政府により1927年に新製禁止令が出た。 1949年に廃車となり、1954年に入館。
      写真を撮るにも当時の写真機材でひきが取れず、撮影出来なかったのは残念です
      (ウエブで見られますが、皆さん苦労してますね。真横は無理でしょう)。

右々隣: C&O   F-11 型 No.377   ボールドウイン 1902年製   4-6-2  テン・ホイーラー
   元々は、シンシナティ・リッチモンド・アンド・ムンシー鉄道用に製造された。1909年に C&O に買われ、支線で旅客と貨物の両方を牽引した。
   1952年に廃車、ウエスト・ヴァージニア州で展示された後、1971年に博物館に搬入された。

A T-1 型  No.2101 1971〜1972年の項で紹介した機関車の姉妹機。 1923年にボールドウインが 2-8-0 として製造され、
      1945年にレディング鉄道によって 4-8-4 に改造され、1964年に廃車、スクラップ・ヤードに売られたが、
      ロス・ローランド氏に購入され、1974年に復元完成。
      1975〜1976年にサザーン・パシフイック鉄道の 4-8-4 と共に、アメリカ独立200年祝賀祭典の一つとして、
      資料を積んだ展示車両を牽引し、アメリカン・フリーダム・トレインとして全米を巡回した。
      1977〜1979年には動態保存機として運転されたが、1979年に保存先の火事で炭水車が破損。
      No.2100 の炭水車と交換され、外部の簡単な修理後に アメリカン・フリーダム・トレイン No.1 として博物館に静態保存展示された。

B C GG1 No.4890  1995年に、ウイスコンシン州グリーン・ベイにある鉄道博物館所蔵のディーゼル機関車と交換され、現在は見れない。
      但し、1983年に引退した No.4876 が入っているが、復元が必要で、現時点では公開されていないようだ。
      (この No.4876 は、ワシントンのユニオン・ステーションに突っ込んだ機関車として有名。 映画 「シルヴァー・ストリーク」 最後の方に
      ディーゼル機関車が、上野駅の終端ホームと同じ構造のプラットフォームを乗り上げ、コンコースでやっと止まるというシーンがあるが、>
      この事故を参考にしている筈。 実際には、コンコースを滑り、先頭の3両は衝撃と重さで床を突き破り、下で止まった。
      幸いにも死亡者は無く、機関車は3つに切断されて運び出され、自社工場で修復された!)

D ウエスターン・メリーランド鉄道  F7型 (F7A) No.236  GM の EMD で1952年製造。  稼動機
     全長 Aユニット約: 15.44m (Bユニット約: 15.24m)   全巾約: 3.23m   車輪直径約: 1016mm 
     エンジン EMD 16-567B V16 1500 HP/1100KW

  EMD F7 (F7A、F7B)1949年2月から1953年12月迄に 2366両の A ユニット(片運転室)と1483両の B ユニット(運転室無)が EMD の
   イリノイ州工場とカナダの子会社によって製造された。
   B-B タイプの貨物用機として販売(販売---日本では例は余り無いが、米国ではディーゼル機関車の場合、製造会社がデモ機を作り、
   鉄道会社が試用し、注文予測で機関車が製造され、各鉄道用にマイナー・チェンジを施して売られた)されたが、
   一部では旅客用にも使われた。
   米国での最多数製造機。 通常、複数機が連結されて使用され、一編成に同じ番号を付ける鉄道会社もあった。
   これはFシリーズ最初のFTからで、蒸気機関車との性能比較では A-B-A 又はA-B-B-A のディーゼル・ユニットと単機の蒸機が比較され、
   不公平ではないかという気がしていた。 実際に1960年代迄、貨物列車の蒸機運転を続けた鉄道会社がある程だった。
   給油、給水、給炭等の運用コストは蒸機の方が確かに高く、最大引張力の場合の釣合速度はかなり低いが、単機だけの場合、
   牽引力だけで言えば蒸機の方が優れている。 1両だけの製造コストを考えればディーゼルの方が安いと思われるが、
   保守と運用の簡易さ(即ち運転コスト)で複数機の運用であっても(この場合終着駅で機関車を回転する必要が無い)
   ディーゼルが勝ったと言えるのでしょう。

   Fシリーズはフード・ユニットと呼ばれているが、途中駅での貨車の入換え作業には後方視界の問題、連結手の搭乗が難しい等の理由から
   スイチャー・タイプの機関車(この場合ロード・スイチャー)に淘汰されていった(GMの場合、GP 形式---ジェネラル・パーパス、
   GEの場合、U 形式---ユニヴァーサル)。

E B&O  P-7 型  No.5300      ボールドウイン 1927年製     4-6-2  

     動輪直径約: 203cm  シリンダー約: 68.5X71cm  機関車重量:163t 引張力約:2270kg 最高速度約: 135km/時
     20両製造され、B&O の創立100周年を記念し1両毎に大統領の名前を付けた。(ワシントンから始め、21人の大統領の名をとっている。
     ジョン・アダムスとジョン・クインシー・アダムスは姓が同じ為、単にアダムス号となっている)
   給水停車を省く為、線路間の長い水槽から水を掬い取る装置を装備。 ATSも装備されおり、ニュー・ヨーク〜ワシントン間で、
   ペンシルヴェニア鉄道と競った。塗装も濃緑に金とマルーンの線が入ったもので、アメリカの蒸気機関車では黒以外の塗装は多くない。
   1944年には青一色で塗装された。1957年に引退し、スクラップとなる予定だったが、社長の指示で復元された。

F G  C&O   L-1 型   No. 490    アメリカン・ロコモーティヴ 1926年製    4-6-4
        機関車重量約: 176.5t    動輪直径約: 188cm    シリンダー約: 68.6X71cm   引張力約: 22337kg
   元々は 4-6-2 パシフィクとして製造された。 4-8-4 が登場する迄は優等列車の牽引をした。
   第二次大戦後に旅客列車のサービス向上の一環として他のパシフィック・タイプと共に1946年に自社工場で 4-8-4 に改造された。
   1953年迄運用されたが、No.490は保存され、1968年に博物館に入館した。

H I ブルー・マウンテン・アンド・レディング鉄道 (Blue Mountain & Reading)  G-1 型 No.425  ボールドウイン1928年製  4-6-2
     元々はガルフ・モービル・アンド・ノーザン鉄道用に製造された。 写真は当時運行していたペンシルヴェニア州のテンプル〜ハンバーグ間。
     ブルー・マウンテン・アンド・レディング鉄道は、コン・レールが廃止した約21kmの旧ペンシルヴェニア鉄道の線路を利用して開業した。
     当初は州が線路を所有していたが、2000年に買い取る。その後、コン・レールが廃線した路線を次々と買い込み現在に至っている。
      No.425 は、この写真の後で運用停止となったが、2007年にオヴァーホールされ、2008年より運行再開している。