白紙


ニュー・ヨーク市の地下鉄

(写真上をクリックすると大きな写真になります)

      
               @ R142A No.7515       2010年撮影       A  R142A No.7302   2010年    B ボンバルディア車に使われている台車   2010年

     
C D E F 川崎重工のヨンカース工場。 C D 2007年 No.8233?      E F R160B  No.8837    R160B  No.8797    2007年

         
                  G R160B  No.9861        2010年          H F 線             2010年                 I E 線        2010年

   
                                    J R160A No.9379   2010年            K   2010年


通勤電車/列車

               
       L M2 No.8543、M1A No.8289  1974年   M M1A No.8235     2010年          N M3A     2010年    

       
            O メトロ・ノース M7A No.4173    2010年    P Q ロング・アイランド鉄道 M7   2010年    P No.7745      Q No.7717

 
                                  R パス PA5   2010年                                      S  同左      No.5687    

   
                       21  メトロ・ノース  P32AC−DM No.216    2010年     22  CTDOT No.229        2010年


アメリカ東部での川崎重工 C〜F 21,22 の建物

アメリカ横断旅行で紹介した川崎重工のヨンカース工場。 ハドソン線で GCT からハドソン河沿いに北へ20分程。土地が狭い為、走行試験は無 理と思います。電気を通しての定置試験はいつもしているようです。短い架線部もあります。 現在はネブラスカ州に建設した大きな工場でも鉄道 車両を製造している。相当な広さがあるようで、走行試験も出来るのではないかと想像しています。

写真の整理時に、川崎製の車両はR142Aからと思い込んでいたが(ヨンカース工場を開いたのは1985年)、思い返してみれば、
IRT系統の4〜6 番線にステインレス鋼車体が初めて入ってきた時に見かけた編成が川崎製だった。
これが多分川崎の米国本格参入のR62系で、車体は神戸で製造され、電気関係、台車、内装品などは米国製
(地方公共交通が国や州の公的援助を受ける為には、米国内での製品、製作が或る程度の割合でなければならない)だった。

ニュー・ヨーク市の地下鉄は開設時の事情で(全て私鉄)、IND,BMT,IRTの3系統がある。 IND,BMT系統は大型車が入線でき、
私が来た1969年にはステインレス鋼車体の新しい車両が走っていた。
IRT系統は曲線、建築限界等で、IND,BMT系統の車両より小さく、車両の更新が遅れていたが、1981年に1130両を新製する事になった。
最初の325両は日商岩井/川崎の連合が1982年に落 札。 次の825両は米のバッド社とカナダのボンバルディアが競札。
カナダ政府の援助を受けたボンバルディアが落札した(R62A)。
車体長約 15m、車体巾約 2.6m、車体高約 3.6m。  寸法、台車等は旧型車両と同じで、電気機器を新しくし、空調を設置し、
ステインレス車体にしたともいえる。旧型の台車を使っているのは大型車増備の際(1975〜1978)、プルマン・スタンダードが製造した車両は空気バネ台車を使用したが、短期間で台車に亀裂が発生し、
旧型に交換した経緯がある。 軌道の整備も良くなく(木の枕木に砕石道床)40トンの車両が平気で速度超過で走っていたのだから無理もない
と思うが(地下区間でも100km/時以上を出していた事もあると記憶する。 R62は4〜6系統では旧形式に戻されたりしており、
車体自体にも特徴がないので、乗れた時は気分が良かったが、日本国内の車両と比較すると余りスッキリしなかった。

この次、1992年に手がけたのは、IRT用 R110Aの運転室付A4両、運転室無6両 5両編成2本、大型のR110Bの運転室付A6両、付随車3両
3両編成9本。  3相交流モーター、空気バネ台車等を装着した次世代車両のテスト・ベッド用ともいえる。 
 この後にヴァージニア州交通局用に2階建通勤用客車13両製造。
(2008年にMARC、メリーランド州交通局、に売却された。 ヨンカース工場で整備され、新塗装で並んでいたのを通勤途中で何回も見ている。
しかしその後の両局の入札ではボンバルディア等に落札されている)。
これと前後して1997年にMTAのロング・アイランド鉄道にC3型2階建通勤客車を134両納入している。 

@ A R142A IRT系統用  川崎重工 ヨンカース市、ニュー・ヨーク州と神戸工場 1999-2004年 400両。 A(Mc)+B(M)+B+B+A 編成
   ステインレス・スティール車体。 前頭部はファイバーグラス。
   直流 625 V 第3軌条集電             No.7211〜7810(製造時) No.7221〜7810(現在)
   A車: 片運転室付 Mc(モーター4基)  座席34 立席148   B車: 付随電動車 M(第2エンド側にモーター2基) 座席40 立席142

   最高運転速度: 89 km/時 最高速度:100km/時。   加速 4Km/時/秒  減速 4 km/時/秒(通常)  5.12 km/時/秒 (非常)
   ボンバルディア マイトラック駆動方式、 3相交流モーター1508C 150 HP/112 KW/モーター   川崎式台車  

   最初の発注は No.7211-7610 の400両。    オプションの No.7611-7730 で120両。  2003〜2004年に No.7731-7810 の追加発注 80両。
   R142 はIRT系統の旧式車置換え用に入札された。ボンバルディア・トランスポーテーションとの競札となり、
   R62の際に川崎の方が故障が少なく、仕上げも良いので、市としては川崎に期待していたようだが、落札額の差は如何ともし難く、
   ボンバルディアが1030両受注している。
   ニュー・ヨーク州とヴァーモント州工場製。 1999〜2003年 1030両。 川崎が技術をボンバルディアに渡す事で、川崎に製造が回ったと、
   私は記憶しています。  ボンバルディアが仏アルストム社の駆方式、川崎がボンバルディアの駆動方式というのもその辺がからんでいる
   ので はないかと思います。  尚、追加発注先は川崎です。

   2011年からは、IRT系統フラッシング線のR62A交換用R142系の更新工事が始まっています。 5両編成又はC車を足した6両。
   改造車370両以外に、新造車103両で、寸法/性能は同じ。 形式名はR188。
   入札時にボンバルディアが、儲けが少く設備投資に金がかかるとして辞退。川崎が落札した。
   最初の10両の改造はヨンカース工場で、残りの改造は川崎と地下鉄が共同し、ブロンクスの地下鉄/工場で行われる。
    改造は主に通信列車制御方式にする為。

   @はグランド・セントラル・ターミナル地下鉄駅。 レキシントン・アヴェニュー線 6番線南行

   Aはレキシントン・アヴェニュー線14St.駅。 プラットフォームの曲線がきつい為、乗降口付近に可動式端部が設置されている。列車に接する

     部分は曲線に合わせてカーヴしており、電車が動き出すと車体に押されて手前に戻り、電車が停車すると、ドアを開ける前にモーターにより
     せり出す。 14St.もGCTのように2本島式プラットフォームで急行停車駅。可動部は上下各ホームに数個程づつ設置されている。

C D ニュー・ヨーク市地下鉄 R143 型 No.8233 ?   (No.8101〜8312)   川崎重工 ヨンカース、リンカーン(ネブラスカ州) 神戸
    A+B+B+A 4両セット   ステインレス・スティール車体  前面ファイバーグラス     
    全長: 18.35m   全巾: 2.98m   全高: 3.70m  自重: 38t(A) 37.1t(B)    定員: 240(A)   246(B)
    最高速度: 89 km/時  加速度:加速 4 km/時/秒  減速 4 km/時/秒(通常)  5.12 km/時/秒 (非常)
    モーター ボンバルディア 1508C 150HP/112KW

    川崎重工の評判は良く、L線の大型車更新用として1998年に100両、オプションとして112両のR143型の受注を受け、
   合計212両を 2001〜2003年の間に製造した。 
   R142Aのデザインを基に川崎が製造。 ワンマン試験運転が2005年に行われた。

E F ニュー・ヨーク市地下鉄 R160B 型 No.8797    川崎重工 ヨンカース市、ニュー・ヨーク州の工場にて
        R160A/B  アルストムと川崎重工で 2005〜2010年に1662両製造。 IND,BMT系統用。 4両編成 93本(B2両)、5両編成 258本(B3両)
        2006年から使用開始。 ステインレス・スティール製車体。      定員: A車; 座席42 立席198   B車; 座席44 立席202(B)
       全長: 18.35m   全巾: 2.98m   全高: 3.70 m  自重: 38.6t       全電動台車
      最高速度: 89 km/時  加速度: 4km/時/秒        減速度: 4km/時/秒(通常)  5.12km/時/秒(非常)   

         R160A: 全てアルストム・インヴァーターとモーター(シーメンスより音が大きく、ステップ音が判る)とヴェイパー・ドア・モーター使用
       (扉の開閉時に気になる程度の動作音が聞こえる)。>

      R160B: 400両がアルストム・モーター、260両がシーメンス・インヴァーターとシーメンス・モーター使用(スムースな回転音)。
       ドアは全てフジ・ドア・モーター(静か)

   R143とほぼ同じだが車両間ドアはR143はスライド式1枚だが、R160はスライド式両開き2枚。後尾灯はR143は白熱球。R160はLED。
     最初の契約での製造にアルストムは10両のテスト用車両の到着が5ヶ月遅れ、市交通局への配送はその又3ヶ月遅れとなった。
   車体はブラジルで製作され、ホーネル、ニュー・ヨーク州で組まれたが、ブラジルでの製造行程で起きた問題から交通局が何両かを受領拒否。
   又、期日までに 400両の内、200両を配送する予定だったのが 80両しか出来ておらず、遅延違約金の対象となった。
   200両は 7ヶ月の遅れで到着。 その後問題は起きていない。

R160A 基本発注(2005.12〜2008年): ア  8313-8712 (400)   初回オプション(2007)  : ア 9233-9592 (360)   (アはアルストム、川は川崎)
                                       2回目オプション(2008): ア 9593-9802 (210)、ア 9943-9974 (32)

R160B 基本発注(2005.7〜      ): 川  8713-8972 (260)  初回オプション(2007)  : 川 8973-9232 (260)   ( ( ) 内は年と両数)
                                       2回目オプション(2008): 川 9803-9942 (140) 計1662

L 手前の2編成は、この写真では違いが良く判らないが、手前が交直両用のニュー・ヘィヴン線用 M2型、後が直流のハドソン線とハーレム線用
    のM3型。 最後はニュー・ヘィヴン線用旧NHの4400型電車で両端運転室の1M方式。 このM2は第1陣の受領で車両が足らず、
  旧式電車も使われていた。次ページにもう少しまともな写真があります。
  カラー写真ですと、M2は窓下の塗装がバーミリオンというより朱鷺色。  M3はブルー です。 

M2型 近郊用通勤電車 1972〜1977年 
  直流 650V 第3軌条集電/交流 1万1000V 25Hz (後程 1万2500V 60Hz) 架線集電。 
  モーター 直流 GE 1259 121 KW(162 HP) 2基/台車。 2両1ユニットで8モーター。 全て電動車。

  ニュー・ヨーク州のメトロポリタン・トランシット・オーソリティー(MTA)とコネティカット州交通局(CTDOT)の要請でバッド社が車体製造、
  電気機器関係はGEが製造し、組み立てもGEで行われ、244両が製造された。 カナダのヴィカースも共同製造に加わっていたようだが、
  はっきりした事は判らない。 只、GEのエリー工場(エリー湖の湖畔の町)が使われており、対岸がカナダであることからして組み立てを
  行っていたと思われる。 (MTAの公式サイトでは GE 製となっている)
  M形式はメトロポリタンの頭文字からきている。尤も車体製造のバッド社は当初M2に対しコスモポリタンと命名したようだが、
  どちらにしても M+数字の方が知られているようだ。 M1は1968〜1973年にロング・アイランド鉄道 - LIRR用、
  M1Aがハドソン線用として1971〜1973年に製造されたもので、性能も評判も良く、ニュー・ヘィヴン線の旧式車両
  (古いのは1920年代から新しくても1950年代半ば).取替用にM2が発注された。 その際、導入に備えプラットフォームの嵩上
  げも行われた。

  M1型との違いは、M1は直流650Vの第3軌条集電(M1とM1Aの違いは、LIRRがレール750V上面集電に対し、グランド・セントラル駅から
  の路線は下面集電)で、屋根上に突起物が無い。
  M2は交直両用で、一本腕のパンタグラフを装備し、屋根上に交流機器を保護する為と思われるカヴァーが付いており、
  車体下の機器もびっしり詰まっている。 台車は両形式ともパイオニア形式だが、集電靴が装備されていた。

  面白いのはバー・カーがあった事。 MTAとCTDOTに10両づつ所属し(全ての車両の乗降ドアの脇にMTA又は、CTDOTの大きなシールが
  貼られている)、グランド・セントラル・ターミナル側に連結されていた事。 進行方向左側中央にバー・カウンターがあり、上下に通った何本かの
  掴み棒に小さな丸いテーブルが嵌め込まれていて飲み物が置けるようになっていた。なんせ1度位しか乗った事がないので、イスがあったかどう
  かも、一車両全体だったかの記憶も無い。丸いスツールが反対側の窓側に並んでいたような気もするが。混雑する線でもあるし、
  苦情も多かようで、MTA所属の車両は普通車に改造された。現在でも使用されているかどうか。
  そう云えば、最後尾車両のドアの前で売り子がミニアチュア・ビンの酒やソーダを氷入りの箱に入れて売っていました
  (口の開いた酒類を持って歩くのはニュー・ヨークでは違法なので売店では売っていなかった)。

  興味深いのはMTAが後続車を発注する際、バッド社がMTAと上記の地下鉄車両製造でもめ、MTAに製造権が移った事により、
  東急車に製作させた事です。 東急はバッドの日本での技術ライセンスでした。 東急は1987〜1988年に54両の M4 を製造。
  M2 との違いはD車という中間車を入れ、3両ユニットにした事で、当事者には三つ子と呼ばれたそうです。

    M4    東急車輛   直流 650V(第三軌条方式/下面接触)   交流 12.5kV(架空電車線方式)    序に、その後の新製車を記載すると、

    M6   モリソン・ヌッドセン社  1993年  48両  直流 650V(第三軌条方式/下面接触)   交流 12.5kV(架空電車線方式) 3両編成
            M4とほぼ同じ。 純粋なアメリカ産最後の車両。 乗降口自動ドアが閉まる時に警告音を出す。

   M8  川崎重工  受注 2006年〜   基本契約 210両+オプション 90両。初回 オプション 80両、追加オプション 25両 計 405両
         2010年から営業運転
             直流 650v(第三軌条方式/下面接触・上面接触) 交流 12.5kV(架空電車線方式)   交流 25kV (架空電車線方式)
             ニューヘイブン以遠、ニューロンドン方面へ直通する従来からの直流750V、交流12.5kVに加えて交流25kV(アムトラック)に対応。
      アムトラック規格の車内信号装置(速度制御)も搭載。 一部車両にはペンシルベニア駅への乗り入れ用に、
      従来からの第3軌条下面集電に加え、上面集電もできる集電靴を装備し、運用の巾を拡げる事になった。

      MTAとボンバルディアの契約交渉がうまくいかず、川崎が2006年に契約を交わす。 車体は直流専用のM7系を基本として製作。
      (M7から今迄の両開き2枚戸から、大き目の片開き1枚とになってしまった。 雪対策と気密性を上げるという事と思うが、GCTでの乗降に
      はM1,M3より時間がかかっていた) 運転室は車体全巾となって、編成前後のドア真後の席に座ったり、ドアの後に立って前/後方を
      見る事や、編成間の移動ができなくなった(M1/3では運転室車内ドアは木目の金属製だったが、ノブの辺りに小さなガラス窓があり、
      運転士の手の動きが見えた。 
      最初のテスト用6両編成の完成はデザインの変更などで5ヶ月遅れた。  405両以外に25両の追加予定はあるが、
      2014年にM8全編成が完成するとM2〜M6は引退する。 製造コストはコネティカット交通局が65%、メトロ・ノースが335%分担する。

M メトロ・ノース M1/M1A  バッド社   
      M1  ロング・アイランド鉄道用 1968〜1973年   770両   (No.8200-8377)
      M1A メトロ・ノース用          1971〜1973年    178両   (No.9001-9770)

          M1/M1A GE1255A2 110kw/148HP モーター   最高速度: 160km/時 (最高運転速度は約125km/時)

 M1/M1A はニュー・ヨーク州とMTAによって発注された(当時はまだペン・セントラルとコン・レールが運営)。 バッド社でメトロポリタンと命名。
 登場した時には丸みを帯びた車体と前面、車体中央よりに設置された両開き乗降ドアで人目を惹いた。
 窓も 乗務員窓-4-扉-4-4-4-扉-4 の 配置とし、細い枠で区切られた4個の窓を一つのグループとし外側一体に暗いレキサンを嵌め、
 連続窓に見える構成となっている(M2ではグループの中央窓2個は電気機器通風用ダクトが内側を通っている為につぶされている。
 座席も片側2座席づつ削られている)。 市の地下鉄のデザインにも影響を与え たといわれる。
 通勤電化区間のプラットフォームはこの新型車を迎える為に全て嵩上げされた。
  ロング・アイランド鉄道では第3軌条の電圧を  直流650Vから750Vに昇圧した。  
  1980年代の後半に更新工事が行われたが、現在も運用されているか不明。 写真は予備車と思われる。

N メトロ・ノース M3/M3A  バッド社
      M3   ロング・アイランド鉄道用  1984〜1986年  174両  (No.9771-9944)
      M3A  メトロ・ノース用           1984〜1985年  142両  (No.8000-8141)
 M1/M1A  GE1261 120KW/160HP モーター     最高速度160km

  M1/Aの改良型といえる。 外観で目立つのは乗務員用横窓が上下開閉から左右開閉になった(運転室反対側の前面客用座席の上には
  車掌用ドア開閉スイッチ等があり、同形窓がついている)。
  客室の窓は殆どがエアコン故障j時に窓上部上が手前に開けられるようにし (M1/Aもドアに近い2枚の窓を上部上部開放可能な
  大きな窓一つに交換した)、窓巾がM1の倍となった。
  配置は 乗務員窓 2(小さな固定窓2+開可窓1)-扉-2-2(ルーバー+小さな固定窓+1)-2-扉-2 。
  駆動用モーター通風ダクトを追加する為にルーバーと書いた位置内側に、日本の旧形式気動車にあるような出っ張りが作られ
  座席数が片側一つ減った、等。
  尚、M1/A,M3/A の前照灯は腰の位置2個だけだったが、法規により、おでこの位置に1個増設された。
  しかし取って付けた感は否めない。 運用は2010年が最後のようだった。
  座席配列はM1〜M8全て原則的に2列-通路-3列となっているが(出入口の3列側では扉寄りは2列)。
  ルーバーの部分は1-2となっており、唯一の一人用座席があり、ダクトに頭をもたれて本を読んだり、目をつぶっているのには最高だった。

O M7A  ボンバルディア社  メトロ・ノース用 366両 (No.4000-4335) 2004年    M7 ロング・アイランド鉄道用 836両 (No.7001-7836) 2002年
   全長: 25.9m  全巾: 3.2m     定員: A(付随車)110  B(制御車)101
    直流 650V(メトロ・ノース 第三軌条方式/下面接触)  
   三菱 交流 200KW/265HP モーター 2基/台車  1インヴァーター/台車        M1を置き換えた

P Q パス PA5  川崎重工で2008〜2011年に340両製造された。営業運転2009年7月〜
     A(運転室付) No.5600-5819    B(付随車) No.5100-5219   ステインレス鋼車体     交流モーター
        全長: 15.5m  全巾約:  2.8m     座席35      最高速度 88 km/時ニュー・ヨーク市地下鉄R142Aの改良型。

  川崎はこれ以前にもパス用車両を製造している。1987年製の PA4  No.800〜894 で、全て運転室付。 ハドソン河の下を走るという事で、
  信頼性の高い川崎重工が選ばれたと思います。 尚、9/11 時にワールド・トレード・センター内でビル倒壊に遭遇しましたが潰れず、
  暫く他の車両と保管されていましたが、パーツを外され廃車になったようです。>

パス(Port Authority Trans-Hudson 港湾局ハドソン横断)はニュー・ヨーク市のマンハッタンと対岸のニュー・ジャーシー州 ニューワーク、ハリソン、
ホーボーケン、ジャーシー・シティを結ぶ通勤鉄道で。ニュー・ヨークとニュー・ジャーシー州の港湾局が運営し、州知事が最高権限を持っている。
営業距離は約22km。 ハドソン河のトンネルは34ストリートからホーボケンへの複線1本(北側)と、ワールド・トレード・センター跡から
ニューアークへの複線1本(南側)の計2本。
マンハッタンに住んでいても忘れている事が多い電車(地下鉄と書きたいのですが、地下の部分はマンハッタンとハドソン河のトンネル部、対岸の
市内一部だけ)ですが、歴史的に言えば大変に古い。1874年から計画され、北側のハドソン河下の一部掘削が始められたが、
1880年に20名の死者が出る崩落が起こり、当時の技術では不可能と断定、中断。
1890年に再開するも資金難で中止。新しい会社により1902年にシールド工法で鋳鉄製の筒を押し込む工事が再開された。
複線と書いたが、ハドソン河トンネル自体は単線2本づつ。 1907年にホーボーケンと19ストリート間が開通。
1908年にルーズベルト大統領がホワイト・ハウスでボタンを押す事で、営業運転が開始された。
1909年には南側も開通。その後、両線共延長工事が行われ現在に至っている。 当初の役割はマンハッタンとホーボーケンの
ラッカワンナ鉄道、ジャーシー市でエリーとペンシルヴェニア鉄道との接続だったが、現在では大きく変わっている。
自動車用のトンネル、橋が完成すると、使用者が徐々に減り、1950年に倒産。 
1962年、港湾局のワールド・トレード・センター開発を認める事を条件に、運営は港湾局に移管された。
用も無く、乗ったのは2,3回。 最初は1970年代だったと思います。
細いトンネルを天井が低く、巾の狭い汚れた旧式小型車両がキイキイと悲鳴を上げながら走るのには驚きました。
短距離で高低差をカヴァーする為に、かなりきつい曲線がトンネル前後に相当の距離でありました。

 PA5ですと車体断面は窓下辺りで膨らんでいますが、それでもJRの通勤車両よりも狭い。 旧式車両は箱型断面ですからもっと狭く、
 車内の雰囲気も悪く感じました。 PA4にも乗った記憶がありますが、天国と地獄の違い。

20、21   メトロ・ノース  P32AC−DM No.216       22  コネティカット州交通局 No.229  
       塗装の違いだけ。 CTDOTの方は旧NH塗装。 機関車の説明は2006年の項で。